Soulmate Rebirth

婚活とか街コンとか、最近では色々とありますが、条件をつけてパートナーを選別している時点で明るい未来から少し遠ざかっているということに少し注意しなければいけません。

 

つまり、その条件付け自体が資本主義的思考回路から出てきており、私たち人間が何万年何十万年と継承してきた感情の部分とは別の部分、つまり最近完成された極度な偏狭な価値観の色めがねでパートナーを選別しているという事実に気付かねばなりません。

 

その気付きこそが本物のソウルメイトを見つける第一歩になります。

 

”愛する”という行為は私たち人間、あるいは動物が気の遠くなるような期間、熟成してきた価値です。一方で資本主義的選別はここ50年60年の間に育ってきた価値です。

 

これを哲学的に客観視してしまえば、いかに条件付けがばかばかしい行為かを認識することができるでしょう。大抵の場合、好きになる人は、自分の思考的な条件付けに全く引っ掛からない人のほうが多いでしょう。

 

つまり、思考的に考えれば、”こんな人を好きになるはずがないのに”という人をソウルは選んでしまいます。

 

簡潔に言ってしまえば、愛とは、よりソウルに近い行動をしている時に大きくなります。

 

裏を返せば、条件付けで異性を選別すればするほど”愛する”という基本的な衝動や行為から遠ざかってしまいます。 

 

究極的に『幸福』とは、愛し愛されることですから"理論上の安定"では、いつの日か"真実の幸福論"に気付いてしまう人もいます。しかし、そこには個人差と妥協が存在します。

 

 

 

 

・手放せば入ってくる

 

多くの場合、ソウルメイトとの出会いを妨げているのは、エネルギーを手放さないこと・手放せないことにあります。その試練を超えた後に、出会いはやってきます。

 

 

・全ての呼びかけに応えてくれる

 

ソウルメイトは自分の呼びかけに応えてくれます。 

 

 

・変われる自分 変わらざるを得なかった自分

 

ソウルメイトとの出会いは、自分と環境を強制的に変化させます。

 

 

・あらゆることはこの出会いのために用意されていた

 

必然的な出会いは心の奥底で納得できるものです。

 

 

・自らの輝きが最大限発揮されている時に近づいてくる異性は

 

エネルギーを奪いに来る悪いパートナー。一方で自らの輝きが最大限低下している時に近づいてくる異性はエネルギーを与えてくれる良いパートナー。エネルギーを与え合うソウルメイトの関係は後者のパターンでしか成立しない。つまり、悪い状況にいるピンチは良いパートナーを掴むチャンスでもあるので、ネガティブにならずに周りをしっかりと見つめ、メッセージを見逃さないようにしなければなりません。状況が悪くなるにつれて離れていく人たちは、本質的なネガティブエネルギーを持っている非ソウルメイトなので絶対に追ってはいけません。見極めることの大切さをあなたに教えてくれる状況をつくってくれた単なる脇役であるということを認識しなければなりません。 

誰でもが簡単にアイドルになれるほどIT技術が発達しましたが、 そのことによって実はソウルメイトと出会えない確率が高まっています。それを≪soul rose rate≫と呼びます。皆、自分を磨いて情報発信をすればたくさんの人が集まってきて、自分は人気者になったと勘違いし、さらに情報発信を高めていきますと大切なもの、人から遠ざかっていきます。 

つまり、これは本質的な輝きでなく、表面の研磨をし過ぎることによって原石感が全くなくなり、ソウルメイトが認識する魅力が逆に光で隠れてしまった状態の比率のことです。 

ソウルメイトとの出会いは多くの場合、不完全です。不完全さを露呈することによってパートナーを認識するというのがソウルメイトとの運命の出会いです。基本的なところを忘れないようにしたいですが、ソウルメイトは互いに足りない部分を補う関係性を持っています。磨きすぎて完全であればあるほどその奥の不完全さは見えなくなっています。 

なので、ソウルメイトと出会うまでに磨くのは、才能や能力ではなく、謙虚さや不完全さを認識させる素直さや、誠実さになります。

 

 

・輝きを欲する時はソウルメイトに出会えない

 

 輝いている人が好き、という人がよくいますが、これは裏を返せば、輝きを奪いたいということを意味しています。つまり、これらの人たちはソウルメイトに出会う確率は低く、真剣にソウルメイトを探している方はこういう人たちを相手にしてはいけません。探さなければならないのは、≪(原石を)輝かせたい≫という欲求を持っている人たちです。つまり、この手の人たちは、原石から才能を見極める能力を持っており、それ自体がソウルメイトと出会える条件を兼ね備えています。輝きが欲しいという人たちを相手にしてはいけません。なぜならば、そのような人たちに関わっていると本当にエネルギーを根こそぎ奪われてしまい、ソウルメイトを探す気力もなくなてしまうからです。

 

 

・資本主義化する"性"

 

社会が資本主義化することによって"性"もまた勝つ者が勝ち続けるという市場が形成されつつあります。"性"の基本は1対1(peer to peer)ですから、より多くの人間に遡及されるようにトータライズされた"性"に対して自分自身がアンチテーゼ(異なる意見、反駁する視点)を持つことが大切です。そうすることによってトータライズされないソウルメイトだけに情報発信できるオリジナリティが確立されます。

 

 

・比較の論理に悩まされている日々

 

 比較の論理に悩まされていますと、ポジティブに物事を捉えられないと同時に個性を確立することもできません。それは同時にソウルメイトを見極める力も失っている、あるいは目の前にいても認識できない状態にあると言っても良いと思います。

 

 

 

・美意識のファスト化で個性が消える

 

"性"と同様に美意識もファスト化され自らの内側から個性を消す脅威になっていることを認識しておかなくてはなりません。オタク文化等はそれらのファスト化に対するアンチテーゼですが、それらの行動様式・思考様式のエッセンスを抽出し、霊性活動につなげていくというのが私たちの役目であり、これらの問題に取り組むお客さまのテーゼであると考えます。

 

 

 

・思考パターンを見直すという意味において

 

思考パターンを見直すという意味において日本人女性には外国人男性を日本人男性には外国人女性とお付き合いすることを推進しています。これは単にこれまでの西洋かぶれや興味本位の付き合いなどではなく、全く異質な思考回路を知り、自らの民族性の思考パターンに気づくというポジティブな意味合いを持っています。日本人は詩を朗読することによって自らの感情表現を正確に表すという特質を持っていますからVisionaryONEではカラオケセッションも行います。つまり日本人は英語でコミュニケーションをするよりも、まずカラオケでコミュニケートしたほうが外国人には理解されやすいということです。それらとともに日本の歴史文化への理解やキリスト教文化の勉強も同時に行っていきます。現在日本では出生率低下に伴う移民の問題も取沙汰されていますので、VisionaryONEメニューにおけるEPAとこれらが同時進行することによって皆様方の努力が社会貢献の役割をも同時に果たすということにも目を向けて頂きたいと思います。

 

 

 

・良妻賢母は日本女性のロールモデル 

 

現在の日本では女性がロールモデルを意識しないので悪妻愚母が当たり前のようになっています。これらに男性は強いアレルギー反応を示しており、時に強く厳しく突き放してしまいます。これらは日本社会が唯物化し、形而上の概念(信仰心・愛)を信じられなくなったことから発生しています。またこれらは、社会にとっても非常に有害な傾向を示しており、日本人自身は自分たちの心が唯物化している状態すら正確に認識できない状態にあります。つまり、30歳、40歳になっても”信仰とは何か?”に答えられないほど心が幼稚なのです。結婚生活そのものが形而上(not唯物)なものであるにも関わらず、物質的な条件でそれらをセレクトし、互いがその選択におかしさを感じないほど、我が国の哲学性と知性は弱体化しているということなのです。

 

 

・1が2にも4にもなる関係

 

当然のことながらソウルメイトと出会うことによって(当然のごとく両者が)1が2になり4にもなります。0.5に半減する出会いがソウルメイトでないことは明らかです。逆に言い換えれば、自分と出会うことによって相手が0.5になる場合は、自分に何か問題があるのではないかと自問自答すべきです。これを問うことはソウルメイト以前に誰にとってもプラスになっていなければそもそもソウルメイトと出会う段階にもなっていないことを明確に自覚しなければなりません。ソウルメイトは自分の短所を埋めてくれる存在ではなく、自分の問題と向き合い、短所を克服した後に出会える存在です。

 

 

 

 

料金  ¥15,000-

 

 

期間  2週間のメール・掲示板スクランブルセッション

 

 

 

 

 

 

☆kohya_hibiki

コメント: 16
  • #16

    sumile (火曜日, 03 6月 2014 08:25)

    留学。思い出みたいに話してしまいます。お隣の「フランス人」は少なかったです。英語を学びたいと思う人は少ないのでしょうか?よく分かりません。私は、一年の間に場所を変更して計3つの学校に通いましたが、どこもスイスが多くて、お隣のフランス人との出会いは少なくて数限られていました。(男性2人?女性1人?ぐらいだったと思います。)フランス人の女の子とは、夏のラテン系の渦に巻き込まれて一緒に楽しく草原を走りましたよ!(キャンディーキャンディーをお互いの言語で歌合戦しました☆ものすごく大笑いしました☆よき思い出です)

    キリスト教。ホイットビーにある語学学校が、ヨーロッパ各地から韓国まで「宣教」のために英語が必要な人が集まってきていました。神に仕える方たちが集っているので、他の学校よりはとても物静かでまじめでした。「はめをはずさない」生活でした。なんとなく印象的にそう感じました。

    英語を学びながらキリストについて触れる機会が多くありました。日本人の中では、この学校へやってきたのをきっかけに帰国して洗礼を受けてしまう人もいるとのことでした。(私も日本に帰ったら教会に通ってみようかな?と考えたりもしました)授業では、キリスト教以外の宗教のことも学びました。昔は修道院だった建物なので、チャペルも残っていて、お話を聞いたり賛美歌も歌いました。この学校はホームステイと言うよりは、昔修道女たちが使っていた部屋に泊まる形の「寮」みたいな感覚でした。留学生同士、共同生活を送っていました。私たちの毎朝礼拝に出席しました。(礼拝は自由意志です)毎週日曜日は、地元の教会へそれぞれの訪れたい教会へ行って自由に参加できるシステムでした。私はその時間帯は日本へ電話をかける時間帯にしていました。

    英語を学び、英語についてさまざまなことを語り合い、キリスト教やその他の宗教について学びたい人たちにとっては、ホイットビーにある語学学校は貴重なところだと思ったりしました。
    (韓国の人がすごく多かったです。年配の方たちがとても心が優しくて、よくしてくれました。私がおとなしいもんだからいつも語りかけてくれたり、包んでくれていました)

    フランスの年配の方がいて(女性)、私は朝あなたが幸せでいられるように神に祈らせていただきました、、と。日本では厳しくて自由にのびのびと出来ない環境でしょう?と言ってくださいました。

  • #15

    sumile (月曜日, 02 6月 2014 07:18)

    少しだけすみません。もうちょっと留学時代の印象を、、昔の話だけれど。ヨーロッパ圏では英語を学べる国は限られていて、唯一「島国」である「イギリス」だけだなと気がつきました。(間違えてたらすみません)そこに多くの留学生が英語を学ぶためにやってきます。特にスイスだらけだと本当に感じました。アジアはやはり少なかったかなと思います。アジアでは日本人が多いです。夏になるとイタリアやスペインの人たちが大勢押し寄せるので、本当にがらっと雰囲気が変わりました。語学学校の数はけっこうたくさんあるので、どこへ行っても色々な国の人たちが集っていると感じました。特に、夕方のパブへ行くと確実に会えます(そこが、第二の英語での学びの場、アルコールが入るのでいいと思います、にっこり)、、英語を学ぶ必要があるとヨーロッパにおけるイギリスの役割と言うのは、重要なのかなと考えてもいいのでしょうか・・・?

  • #14

    sumile (日曜日, 01 6月 2014 15:40)

    克服して才能開花、願望達成することは(個人的なことであれ、そうでないことであれ)、自分自身を赦して、周りも赦していくそのレッスンが終わってからなのかな。そういったことは(必要であれば)神様から与えられるギフトだと思うことにします。赦すことが出来ない限りは、自分も周りもぼろぼろにしてしまうと思ったりするので、できたら心が軽やかになってからで良いのだと思います。
    (赦していく過程が、自然と良い方向へ流れが変わっていくことを信じて、、)

  • #13

    sumile (日曜日, 01 6月 2014 15:25)

    私は「出来ないことを出来るようにする」のではなくて、
    出来ないことを受け容れて赦していく自分になりたい。今はそう思います。
    自分の短所を乗り越えて、才能を開花させて夢を実現していく人生もありだけれど、乗り越えられず花を咲かせることも出来ない人生もありだと思います。
    そういった自分をまずはOKだして赦していけるようになりたいです。
    そうでないと、その自分を赦せない状況を周囲の人たちを投影して、人を自分の内なる出来ない劣等意識から、人を判断してしまうと思うからです。

    たとえば、一生懸命に頑張ろうとすると、逆に頑張れない人に苛立ちを覚えることもあると思います。強くなりたいと努力すると、弱い人を責めたくなると思います。母の事だって、「自分はこうはしないとおもうのに、何故母はあんなことをするんだろう」と責めたくなるのだって、私自身の至らない面を自分自身が赦していないからだと思います。

    (しょうがいをかかせている姉は「強くなりたい」と言って、父を「弱い」と責めたりします。)

    今の私にとって大切なことは、「赦すこと」なのかなと難しいことだけれど思いました。過去に頑張った自分は、それはそれで宝箱の中にしまっていようと思います。いつだって色鮮やかによみがえってくる記憶です。
    今がそのような過去の流れに、過去のなりたかった自分でない今の自分だけど、それはまた貴重なことだと思います。

    今の私は、現状は家族のことがあって、悩みのある日々を送っていて、でも大切な人生のひとこまなんだと受け容れようと思います。出来ないことは責める事で自分をおとしめるのではなくて、赦して、自分も家族も周りも赦していける心を育んでいきたいです。セッションを受けようと思った理由は、「赦したい」からだったと思います。「赦す」強さを今のうちに身につけておかないと、これから先家族の問題を乗り越えていけないと思ったから、セッションを受けようと思いました。

  • #12

    sumile (日曜日, 01 6月 2014 14:25)

    島国である「日本」と「イギリス」大陸ではない島国。

    イギリスは大勢のヨーロッパ留学生がやってきます。
    スイスはかなりの数だと記憶しています。一年間いましたが、
    どのシーズンもスイスは多かったです。特にドイツ系が多かった。
    イタリアスペイン、ラテン系は夏が多かったです。夏と共に、ラテン系の人たちは去っていったけれど。遊ぶことに関して徹底していた記憶があります。

    スイスはわりと日本人と似ていて?静かで落ち着いている感じがしました。保守的な感じもして、やっぱりドイツもにている感じで落ち着いていてまじめです・・

    留学先では、スイス人はスイス人だけでかたまってました。日本人は日本人だけで、、ラテン系はなんだかはじけすぎていた記憶が、、

    イギリスに留学してたのに、肝心のイギリス人とはほとんどステイ先と先生以外は交友(交流)がありませんでした。でも、、イギリス人は「テレビ大好き国民性があり、留学生どうして「何でイギリス人はいつもテレビばっかり見るんだろう?しかも国内ニュースばかりで海外ニュースの少なさ。これって島国だからなのかな??」と言い合ってました。海外ニュースはこれだけ?たったの5分10分?しか流さないの??これでスイス人はカルチャーショック受けて信じられないわーと言ってました。これだったらどうやって海外のこと知っていくつもりなのかしら?と本当にショックみたいでした。
    これを聞いて、日本もそうかもと思いました。

    大陸続きではない「島国」であるということは何を意味しますか?と感じました。

  • #11

    sumile (日曜日, 01 6月 2014 14:05)

    昔を振り返って、留学時代に私なりに感じた感覚です、、よろしくお願いします。

    留学先にてイギリス人に「日本も、韓国も、中国も私たちにとっては一緒にしかみえない」から、と言われたことがあります。日本人にとっては、私たち日本人、そして中国韓国、、とちゃんと分けて考えるけれど、ヨーロッパのひとたちは全て「アジア人」としてまとめてしまうと感じました、、というよりそれが普通なんだとおもいます。日本という国が地図上のどこにあるのか応えられない人ほとんどだという印象、、日本=香港?イギリスの領土?と質問してきたポーランド人もいたり、、

    日本人にとっての都合の良い捉え方だと思う、「日本があり、そして中国韓国があり、、」と分けて?考えたがるのは。日本は他とは違うんだと優越感情などもあると思うから。その感覚でヨーロッパ行くと、「え?日本だってアジアだし、私たちにとって大差ないけれど、、」と私はホームステイ先でスイス人の人にも言われました。スイス人は、「何で日本人は分けるんだ?一緒にしかみえない、、」とイギリス人とうなずきあってました。あちらでは分けていない。・・・テレビ見ても100パーセントチャイナな音楽がかかっての日本の説明が始まったりするのがあたりまえなので、、一緒だと。私の勘違いだったらすみません)

    イギリス人にこどもにも日本の和式といれをみせると大笑いされたり、日本ではチップの習慣はないのですよ、と説明すると「チップあげるほど、日本はそれほどのサービス提供されないからその必要はないんだろうけれどね!」と笑われてしまったこともあります。

    イギリス男性には「日本はアメリカに負けたからここまで国が発展したんだ。負けたからなんだよね。」など話題吹っかけられたり。・・・
    ただ、ヨーロッパ人は日本人には優しいのかな?と感じました。というのは、アメリカ人が嫌いなヨーロッパ人が多かった気もします。スイス人は、なんだか「お金持ちの国だもんね」と茶化されることが多かったり、ドイツはなんとなく「ナチス、、」だと偏見などでみられることもあるのかな?と思いました。

    やはりアジアだから後れていると思っていて「日本にはバスが通ってますか?」とロシア人に質問されたことがあり、・・・

    韓国人も、北と南とでは違う。私たちは「南」だから、、というのは、スイス人が韓国人に「あなたたちは南の人間だからテクノロジーは進んでいるのよね?」とか質問していました。


    日本という国が、地図見て指差して応えられる人ほとんどいなかったような気がします。授業で日本はどこでしょう?と先生が質問しました。日本はイギリスの植民地?領土だよね?とポーランド人に言われて、それはたぶん香港と混同してるんじゃ、、とか説明した記憶があります。(無知であったらすみません)

    サブカルチャーなアニメも嫌いだと言っているスイス人いました。偏見だと思うけれど、「日本のアニメはよくないと思う、このようなものが世界に広がってくのは、本当に害あることだわ、、」など言うひともいました。食堂でいきなり、日本アニメ批判をしだしたので驚いた記憶があります。

    イギリスの先生で、自分の腕時計がとまってしまい、ぽろりと「大丈夫、これはジャパンメイドじゃなくて、スイス製だから」と口が滑ってしまったことがあります。目の前に日本人である私がいたので、あわてて自分の口を押さえて「しまった・・」という顔をしていました。

    韓国のひとに沢山合いましたが、若い人の中で日本人の事を敵対してみている人との出会い数人いた気もします。若い人などが。戦争なことを話題にしたり、、(日本のテクノロジーのことであまり良い印象な発言をしてなかった記憶が)

    イギリスには多くのスイス留学生がきていて(語学学校に来る生徒の中で、スイスが一番多いと思った。お金が沢山あるからだと思ったり、)

    日本にいると意識しないけれど、たとえばハワイに旅行に言っただけで「差別」意識が劣等感優越感とともに深い部分から浮かび上がってくる感覚になりました。

    とはいえ、国境を越えて本当に仲良くなって毎日パブ通ったりしてわいわい騒いでたら、「国籍なんて関係ないもんー」と「同じ人間なんだ」と思える瞬間も沢山ありました。「ドイツもスイスもイタリアもロシアも日本も韓国も、こちらでは皆仲良くて、ほんとうに同じ人間だよー」と両親の手紙に書いた記憶もあります。読んでいただきありがとうございました。

  • #10

    sumile (金曜日, 30 5月 2014 08:41)

    ちゃんと向き合おうとしていると思いたい。母は言いました。世間では「東北原発」と騒いでいるけれど、人間って遠くのことやよそ様のことや、テレビなんかでわかりやすく騒ぎ始めたことになって、必死になって騒いでいるんだよね、って。原発は表になっていて、分かりやすい。わかりやすいから皆騒ぐ。実は障がいや、目にみえない生活保護的なちいさな問題はたくさん身近に合って、人はそこに全然目を向けようとしない。取り組もうと声を上げようとしないって。原発は社会問題だって皆騒ぐけれど、小さな問題はなおざりになってる、、完全に無関心だって。(私が一時期原発のことでいっぱいになって、話題にしてたら姉のことで余裕の無い母からの一言でした)

  • #9

    sumile (木曜日, 29 5月 2014 09:37)

    「日本人は仏教徒なのになんで何でクリスマスがあるの?」と聞かれたこと沢山あります。、そのたんびに困ります(笑)宗教のこと聞かれると、分からないと応えると、恥ずかしい思いをしました。ほかの人たちは、自分の宗教のことどんどん話していって、それからほかの国の宗教について興味心身に話を聞いていきます。宗教について話そう、シャッフルジャングル状態でした。今日は、キリスト教。次回はイスラム教。その次は仏教というように、それぞれの宗教を一時間以上かけてじっくり学んでいく授業でした。けれども、あまり記憶がありませんでした。(・・・)

    ブログで書かれてることは「神仏習合」とシンクロしている部分があったりしますか?6月のはじめに、地元講座で神仏習合~宗像ではどうだったか?ということを学びます。知識が無くて分からないことだらけですが、なんとなく外側から仏教が入ってきてそれらが神道と集合していった過程など分かっていったら楽しいのかなと思いました。仏教が入ってくると形あるものとして仏像なども創られて、そこから芸術性(美)なども出てくるようになったのでしょうか?そのあたりのお話も伺えそうです。
    (ちんぷんかんぷんだと思うので、その辺は夫は凄いので(笑)話も盛り上がりそうです・・私が知らないというと、本当に日本人か?と突っ込まれます、笑)

  • #8

    sumile (水曜日, 28 5月 2014 13:31)

    ソウルメイトとの出会いで(当然のごとく両者が)、0,5に半減する場合もあると思います。それはどちかかが調子が良かったら(悪かったら)そうなりえるのと、一番はお互いの生きてきた環境も育ちからも、そこからくる価値観もありとあらゆることが違いすぎて、カルチャーショックを受けて、でも相手に執着してしまったとき(執着させることと一緒)、自分自身の古い体質気質を見直さないといけない場合ありえる話だと思います。いつまでたっても苦しみは消えずに相手に問題があるんだと思って楽になろうとしますが、なんの解決にもならないと思います。ソウルメイトに限っては特に自分自身の内面をそのまま相手に投影しがちです。相手が悪いと宣言すれば、それは自分が悪いといっているのも一緒だと思います。自分自身のブレーカーが落ちて?0,5どころかゼロになってしまい真っ暗闇になってしまうと思います。(ただゼロになることも大切なのでしょうか)まさに一寸先は闇でもありますが、お互いが不完全だと認め合って(相手も自分も問題があり、悪くもあり良くもある)と苦しみも喜びも分かち合ったりしながら、一寸先に光をみる場合もあると思います。

  • #7

    sumile (水曜日, 28 5月 2014 08:24)

    女性だけだと進化のスピードが遅いから(神とともに一つ精神だから)、そこへ神様は男性をこの世に誕生させた。こうやって人類が進化していくスピードが加速して行った。性の分離が起こりいろいろなことが左と右に分かれていった。女性は自然と繋がり、男性は女性を通じて自然を感じることで、神様と一つだった頃を思い出しながら守られていたころを思い出して、魂の休息をとりながら再び外側へ社会を創っていった。二元性な世だけれど、その中で人類の進化のスピードを上げて魂の学びにしなさいと。女性性とともにやりなさい、と。

    男女のいがみ合い、紅白合戦、、を見守る真ん中にあるもの。相変わらず存在している。左足、右足のど真ん中にあるものは何だろう。左手、右手のど真ん中にあるものは何だろう。左脳、右脳の中央にあるものはなんだろう。聖(性、生)なる部分で、生み出されるもの。左右が合い(愛)しあい、あるいは楽になるつもりでも、決して楽になれない奪ったり合ったりする関係になりたいのか。いろいろなものがうみだされる可能性を秘めている中央(真ん中)でもあった。

  • #6

    kohya-hibiki (火曜日, 27 5月 2014 16:05)

    >輝いている人から何かを学びたい。

    素晴らしい視点ですね。

    >何かよきことをするとき、全くその意識がないと思います。

    その通りだと思います。無意識に身体が動いてしまう、そのような状態が自己犠牲であると思います。

  • #5

    sumile (金曜日, 23 5月 2014 13:37)

    自己犠牲。女性は自己犠牲の本能があるのでしょうか?何かで読みましたが、出産は究極の自己犠牲なのだと聞きました。新たな生命を生み出すために、母は命を懸けて張り裂けんばかりに自らのエネルギーを捧げます。それによって命を落とすこともあります。ただ、自己犠牲という言葉は、あまり好きではありません。何かよきことをするとき、全くその意識がないと思います。
    (よく分かりませんが、好き勝手に書いてみました)

  • #4

    sumile (金曜日, 23 5月 2014 12:57)

    家族については、母が父が、姉がソウルメイト(非ソウルメイト)と選別作業はできない。家族は選べないということでもあり、そのようなことにとらわれてしまっては愛情を注げなくなる。近寄ってくる相手にエネルギーを奪われると思うのは、相手のことが単に「嫌い」だと思っているからであると思う。好きだと思う相手だったら「エネルギーを与えてくれる相手(ソウルメイト)」と解釈するだけの話。何故私はその人のことが嫌いなんだろう?何故その人が好きなんだろう?と自分自身の内面の問題としてみつめていくことのほうが大切だと思います。嫌いだ、非ソウルメイトだと思ってしまう私の心は、きっと余裕がなかったりすると思う。ただ、逃げていても避けていてもそれができないのが家族だったりするので、もう自分自身の器を広げていくしかないのだと思います。相手に非をみつけるのは簡単だけれど、それでは何の解決にもならない全て自己責任です。苦しいその作業は、と思います。もっと自分も周りも赦していける私自身でありたいと思います。

  • #3

    sumile (水曜日, 21 5月 2014 10:40)

    女性は自分をみつめることが得意で、自らを浄化して癒していくことで男性にも自然と癒しが起こると思います。男性に「男性にも癒しが必要で」というのは無謀だと思う。よほど女性性の強い人だったら違うかもしれませんが。男性は女性を通じて(エネルギー)男性に間接的に癒しが起こると思います。

    男性は、得意分野の外側へ意識が向かうと思います。自分の内側の闇よりは外側に関しては得意でよくみえています。女性は自分の善悪。男性は相手の善悪を改善していく役割分担。なので、女性は「受容」「受け入れる」などの試練があるのだと思う。男性はひたすらどういうかたちであれ突っ込んでいって、女性の進化を助けると思います。もともとはこの世に男性はいなかった、という話も聞いたことがあるので、そのような色々なことを感じました。????

    (変な考え方の一つでした)

  • #2

    sumile (水曜日, 21 5月 2014 10:13)

    「輝いている人が好き」は表をみると(別のとらえかた)輝いている人から何かを学びたい(教えてもらいたい)ということだと思います。

  • #1

    sumile (水曜日, 21 5月 2014 09:43)

    アンチテーゼ。異なる意見を持つこと。イギリスで勉強させてもらったとき、「必ず言ったことに対して反論しないといけない授業」を受けたことがあります(自分の考えを持つこと、その反対の意見を言うことはとても苦しかったです、笑)

    たとえば、こんなこともありです。先生の言うことの反対の意見を述べること。ひびきさんの書いてあることの正反対の意見を考えて、周囲が納得いくように書いていくこと・・・

    自分の意見とは反対意見をもつこと。自分と違う意見を持つ人を知ることにも繋がると思う良い練習、、なぜ反対だと思うのか?を主張していく練習でした。
    二つのグループに分かれて、紅白合戦させたれました。苦手でしたけれど、反対意見を言うとき相手の主張を尊重した上で、自分自身の意見を述べるさまざまな言い回しを練習させられました。英語で、、

    「あなたの言うことは一理あります、分かります、理解できる部分もあります・・・でも、私は反対にこのように思います・・・」など出だしに持ってくるとワンクッション効果でいいよ、など。

    懐かしいです。社会人になる前に語学留学をさせてもらって、色々なヨーロッパ圏の方々と接する機会が私には沢山ありました。

    政治経済。難しくて若者は知らないのがあたりまえ?のような日本ですが?よその国では事情が違ってました。ヨーロッパの方々は、若くてもよく知っていました。授業は、たとえばグループで三人一組?ぐらいになって、政党名を考えて、自分たちの考えている政策など演説しないといけない授業もありました。
    驚いたことに、イタリア、スイス、ドイツ、スペイン、、、どの国の人たちも17歳ぐらい若くても、皆自分たちの政治経済をよく分かっていて、どんどんアイディアが溢れ出てくる話し方をしていました。日本人はやはり、自分の国のことがまったく分かっていないのか、ついていけてませんでした。私は穴があったら入りたくなりました(笑)

    でも、今思えば貴重な体験をさせてもらってたのだと思います・・・

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