Attempt 6

Attempt6は、Social Innovater(社会変革者)のためのセッションです。誰が優位で誰が劣位なのか、という目に見えない身分制度を実は私たちは無意識のうちに判断しています。その判断は、戦後の資本主義的思考を背景にして起こっているのですが、そこから抜け出すために例えば、勝ち組に入るとか強者側の論理に組みするなどの思考は、Attemptの思考に惑わされていると言えます。

 

つまり、われわれは身分制度と言えば、南アフリカのアパルトヘイト、インドのカースト制度、自国の士農工商などをイメージするのが一般的ですが、完成された制度が実は自分のまわりに既に存在していることに目を向ける必要があるのだと思います。

 

私がこのセッションで提供したいのは、支配被支配構造ではありません。このつながりを通して新たな段階に共に入るということです。どうしても変えたい未来があるとして、それは白でも黒でも良いですが、この国の現状は、どちらを願ってもどちらにも転ばないという現状です。そしてそれがなぜかということも、それを監査する手段も持ち得ていない、ということも本質です。どうしてこうなってしまったんだろうと絶望と失望に苛まれ、文字通りメルトダウンするというのが我が国の現在の特質になっています。

 

何かを言えば反発し、あたかも正しいかのようなレトリックで論理を捻じ曲げてしまう性向を私たちが持ってしまったのはなぜなのでしょうか。

 

Attemptは、われわれの心に巣食う”分離の構造”です。

 

国会が、”いじめの構造”を持っているにも関わらず教育の現場でいじめをなくすために教育勅語をいれるとは愚の骨頂です。直すべきはわれわれ大人のAttemptです。

 

分離のゲームをし続ける限り、優勝劣敗の世界を支持していることと同じです。その構造から抜け出すことが変革の第一歩です。

 

 

 

料金  ¥15,000-

 

 

期間  2週間のメール・掲示板スクランブルセッション

 

 

 

 

 

 

☆kohya_hibiki

コメント: 13
  • #13

    マキ (水曜日, 13 9月 2017 22:03)

    わたしはあなた、あなたはわたし…というメッセージを感じる出来事が、昨年から今年に入ってありました。12月31日、夢を見ました。いつも通ってるえこびれっじで私は機械で出来た蛇に親指を噛まれました。それをたくましく鷲掴みにして払うみたいな夢でした。噛まれた指を観て、えこびれっじ代表が手術をしないと!と慌てました。夢から覚めると、親指を寝違えてました。旅の途中でしたが、年明けてお寺を参っていたときに徐々に痛くなりたまらなくなりました。歩くのも辛いほどでした。正月明けて、えこびれっじに行くと、メンバーの一人男性Tさんが親指を機械に挟まれて、切断してしまったと聞きました。病院で手術を受けないといけないと言われたそうです。このことから、私は夢の中での私は彼でもあったんだとイメージしました。私は彼、彼は私。

    もうひとつありました。私が以前三回でやめることになったカフェから夢の中で「働きに来てください」と言われました。すると、後日にそのカフェに新しい女性スタッフが雇われたんよ、と友人に聞きました。私は夢の中の私は女性スタッフなのだとイメージしました。私は彼女、彼女は私。わたしはあなた、あなたはわたしなんだと思いました。たから、誰かが未来の私をスピリチュアルな透視で視るとしても、わたしは誰それ、誰それはわたしという具合に別の誰かにアクセスする場合があるかもと感じました。観葉植物の葉っぱ一枚一枚をイメージしました。つまり、予言が外れたと言われる場合の、ひとつの原因にもなっているかもと感じました。このように考えると、将来のあなたがみえます的な話はあまり意味がないと感じました。

  • #12

    マキ (水曜日, 13 9月 2017 18:41)

    明日で最後です(^-^)2週間はあっという間です。
    私にとっては、フェイバリットサンが弱いなと感じています。つまり、好きという感覚、…です。与えられた仕事だけ一生懸命にやっているだけです…

    与えられた仕事だけで日々を過ごしていたら(仕事に限らず)、生きる力が育まれないなと、今までの自分をみていて感じます。

    仕事をはじめてから3ヶ月がたとうとしてます。たいぶん慣れてきて、早く帰れるようになりました。疲れたかも違うと思うから、仕事以外のプライベートな時間を楽しんでいきたいです。どこかに出て、わ~と騒ぐのではなく、ピアノひいたり、菓子をつくったり、一人静かにやれる何かを地味に楽しみたいです。そういったことは、一生懸命にやることではないかもしれないけど、…真面目ねと言われそう(^-^)

  • #11

    マキ (水曜日, 13 9月 2017 07:22)

    仕事だけやっているようでは駄目だと思います。(私の場合はです…)社会のレールに乗っかって、役割を与えてもらって、毎日長時間忙しく働いて、心身ともに疲れてしまって(良い意味でも、悪い意味でも…)、そこでの人間関係にそこそこ満足して、こんな私でも生きていける受け身な生き方…

    プライベート。私の場合は、自分の好きなことや興味があることが、その感覚が麻痺しているのかなと、そういった意味では自分に自信がありません。空しいと感じてしまいます。その感覚は今に始まった話ではなくて、小さいころからかな?と感じます。誰かのブログに書いてあったことが思い出されて納得がいきます。ピアノを始めようと思った動機は(私は人よりも上手にピアノが弾けたから…)だと書かれていました。自己分析をされていました。何かをすることが、他人との比較で出来る出来ないの感覚から、優越感からはじまっていたとしたら、決して好きでもなんでもないから、隙だらけになってしまうと思います。かつて英語が得意科目で、クラスでも学年でもトップクラス?な成績を出していたことから、自信が湧いてきて、毎日が楽しいような感覚で、英語をますます勉強して将来は先生になろうとか考え始めました。好きではなく、人よりも出来たからやろうとおもったに過ぎません。それをやらない理由も、ひとより出来ないから、上手ではないから…となります。

    (難しく考えてしまってます…)

  • #10

    マキ (水曜日, 13 9月 2017 01:18)

    闇…について書いてみます。結局は、私は受け入れてくれる人、場所、環境を捜し続けている部分が結構あると思います。仕事をやっていけることは、社会的な居場所を持てたことに繋がります。社会に受けいられた、認めてもらえたことに。

    長い間、社会的な居場所がなかったから、今まで苦しい面もありました。仕事してないの?専業主婦?いいわね~とかたくさん言われてきました。お仕事は何をされてるんですか?と質問されることは嫌でした。いつだって、自信なく「専業主婦なんです…」と答えてました。「主婦の仕事はやることたくさんありますよ~」とわざわざ言ってもらえたり、1日暇でしょう?なにやってるの?とか言われたり…何をしてるかこたえられなかったり。趣味でもボランテァア活動でも、誘いを受けると(断りたいとき)私は仕事をしていないから断る理由が見つからないと感じることもありました。皆さん、大抵は仕事かあるんでと断ってました。私は家事が忙しいからとは言いにくかったので(忙しくなることはないし)、返事に困りました。そんな気分ではないからなと本音は言えないし…ゴスペルやっているときは、そういった誘いや、時間があるからステージ出られるでしょ?私のステージに聞きにこれるでしょ?みたいに思われているようで嫌でした。



    今では、気が進まない誘いを受けても、仕事を理由に断われるので楽になりました。実際は仕事だから行けませんが、本当に行きたい誘いは希望休とってでも行くと思います。

    今は、仕事をしているけら、マキさんは仕事をやっているのねと社会人として認めてもらえたことになるのでしょうか。「仕事やってるから大変だよね、○○できないのはしょうがないよね。忙しいんだから」など、まずは家族からも言われたりします。まるで仕事をしていたら全てゆるされるみたいな流れです…

    逆に、仕事をしていなかった私は駄目なんだと…

    舞の世界では、変わっていて(仕事を理由にしないで、舞を第一に考えてください)と言われます…

    最後に、私は好きで専業主婦になったわけではありませんでした。社会から脱落した結果、病気になった結果、そうならざるをえなかったからです。何故専業主婦で居続けてるの?という質問に対しては、本当の理由を伝える方法も知らなくて、本当のところを伝えられなくて、単に楽でいいわねと思われていることが辛かったです。それに加えて、出来ないことが多いから仕事をすることが出来ないと考えていたから、なおさら自分で自分を苦しめていました。

    色々と書いてみました。今は、夫が(マキは仕事をしていて、自分はなにもしていない)と頻繁に言ってきます。私は仕事をしていたら偉くて、仕事をしていなかったら駄目なのでしょうか?と問いたくなります。私は、専業主婦であったときは、自分の時間を有効に自分を生きるために使おうと必死だったから、駄目だとは決して思わなかった部分もたくさんありました。矛盾してますが、自分らしく生きようとしていました。読んでいただきありがとうございました。

  • #9

    マキ (火曜日, 12 9月 2017 17:28)

    仕事が自分に合っていると思った。店長や先輩たちは優しくて(口は悪いけれど情があるなあと好感もてます)、励ましやエールも頂いたりします。私は恵まれていると思います。このような話をお姑さんにしました。私は夫が休職中は、夫だけが生き方を問われて生き方を変えて頑張らないといけないのではなくて、私も、今の私では駄目だと思うから、夫のことで逃げていたら、姉や両親の問題からも逃げないといけなくなります。私はそいはなりたくないから、生き方を変えてみようと思いました。仕事を始めてみようと、世の中を生きて頑張っていけたらなと思いました。私は個人的なことで悩んで苦しんでいる暇はありません。夫が大変な時期だから、神様が私にぴったりな職種を用意してくれて、悩むことがないようにしてくれたのだと思います。仕事に関しては…の話です。決意みたいなもの、普段は何も話せない私が、お姑さんにはっきりと宣言したことを忘れないようにしたいと思います。

  • #8

    マキ (火曜日, 12 9月 2017 12:58)

    書いていて感じたことは、仕事を始められるようになった自分を受けいれて(長年出来ないと思っていたからよろこんでもいいし)、ある意味、あたらしい私、あたらしい周り、あたらしいチャレンジ、あたらしい課題…やるこてなすこと全てを味わい尽くすことかなと思います。無理をせずに癒していくことかなと思います。じっくりとやっていきたいです。

  • #7

    マキ (火曜日, 12 9月 2017 09:49)

    働き始めた今、もはや欠点を隠そうとエネルギーを浪費する必要がないくらいに、自分に合った職種だと思います。出来ないことが多いからといって、沢山の欠点を隠そうという発想になる必要はないような気がします。面接では、私は理解が遅いし、接客も得意ではないと思いますと伝えてはいます。その時は、面接官にメモ帳を用意することと、苦手でも失礼のないように出来れいれば大丈夫だとアドバイスをいただきました。恵まれていると思います。コミュニケーションはまだですが…。…スキル?といいますが、まだまだ覚えることが多いし慣れていかないといけない部分も多いですが。…寿司を巻く以外には、対面係といって、焼き鳥を焼いたり、工場から送られてくる惣菜やお弁当をスーパーの棚に陳列していったり、惣菜を小分けしたり(ラッピングの作業)、特注品の弁当やオードブルなどお客さんの注文受付や渡しなどを勉強中です。寿司も対面係も、スーパーのテナントとして入っていて、わりとオーブンで明るい雰囲気の中で仕事をすることが出来ています。お客さんから話しかけられたり、質問を受けたりもします。私の課題なのか、私が一番電話に近い場所で仕事をしているから、いまのところは、取り次ぎ程度に電話をたまに受けたりもします。電話対応もちゃんと出きるようになりたいです。クレームも一度あって、頭が真っ白になりました…何かするたびに、店長や別のスタッフに聞く必要は毎回ありますが、やりがいを感じられて頑張れます。力仕事も私でも運べる範囲内で良かったです。私は仕事が出来ない想いを長年抱き続けてきたから、今は毎日仕事をすることが出来る状況がありがたいです。今は、出来なかったことのやり直しの時期だと思っています。しっかりと自己を癒すことが出来てきたら、また別の課題があると思います。もしあの当時、仕事(学生の時から社会に出始めた、英語の先生になるべく講師をやっていた時期)をしっかりやれている私であればどのような人生を送ったんだろうかと考えます。精神科のお世話になったのかな?スピリチュアルに関心を抱いて、あれこれとセッションを受けたりもしたのかな?ひびきさんに話を聞いてもらったりしたのかな。…言い換えると、何故これまでのことを経験してきて、だから何を学んできて、その結果、今の私に、未来の私に、どう影響を与えていくのかなと思います。

  • #6

    マキ (火曜日, 05 9月 2017 17:38)

    仕事をはじめた今は、大学生のやり直しと思っています。私の中のインナーチャイルドについては、年月を重ね、大学生になった私をイメージしています。さらに、大学生から社会人にかけての私についてもイメージしています。学生の時から、私は色々なことに馴染めなくなってきて、アルバイトも大学生のサークル活動も、勉学も?ストレスフルな日々を送ってきました。どんなに頑張ろうとしても、まわりについていけなくて、出来ないことばかりで落ちこぼれていきました。辛かったです。私は感覚的におかしくなり、そのおかしさに苦しみ世の中生きていかれないと考えて病院に行き、薬でなんとかしようとおもうはどでした。

    今、仕事をしている私は40過ぎてますが、けっこんもしてますが、「大学生みたい」と勘違いされるほど生活の香りが私からしてこないと一緒に働いてる人に言われます。今日もお客さんに「お嬢さん、ちょっとすみません~(^-^)」と呼びかけられてしまいました。そういうことについては、言われても悪い気はしないです、大学生といえば、年下ではありますが、私より年下な青年が上司です。店長と地区長という役割の方です。働きはじめて気がついたのですが、年齢関係なく、パートの人達は、自分より20も30ま若い若い上司のことを尊敬しているようすです。実際に年齢関係なく凄いと思えることは凄いです。数ヵ月先輩な学生アルバイトの人もいて、その人は本当にこまやかな気がつく人で、よく分かっている人です。私に教えてくれたりもして、ややライバル心を持ってしまいました(笑)。少しだけ苦しい気持ちになったこともありましたが、…内なる大学生の自分と向き合うチャンスかもと気がついて、今、大学生の彼女、かつて大学生だった私は、その関係性を受け入れて、真面目に取り組むことにしました。いずれにしても、何かを教えてもらうことは、自分が出来るようになる経験をさせてもらえることで(もはや、出来ない私でいる必要はない)、その過程では色々な大切なことを学べていると思います。経験、感覚、学び、本当に貴いことだなと思います。読んでくださりありがとうございました。おもいつくままに書いています。まとまっていなかったら申し訳ありません。

  • #5

    マキ (日曜日, 03 9月 2017 17:30)

    昔、英語講師の仕事に馴染んでいなくて、コミャニケーションも取れていなくて、出来ない私なんだと苦しいはかりのころに「仕事だけが、私の人生でない。朝早く出勤して夜遅く帰ってくる日々だけで終わりたくない」と感じて、なにか始めてみようと思ったことが、歌をはじめたきっかけでした。(蟹座の変容宮、社会に適応出来ない私のことは詳しく書きました)

    再び仕事に出始めた今は。出来ない私という思いこみを抱える必要は無くて、仕事に達成感や充実している感覚を味わったりする経験を沢山していきたいと思っています。ただ、仕事だけが私の人生のすべてではないし。なにかしらレールにのっかっているに過ぎないのであって、私は私の朝一番のやるべきことを仕事ではなくて、自分の人生は自分で切り開いていく意味をこめて、仕事より前に自然のなかをウォーキングし続けたいと思っています。さらに、仕事から帰ってからの過ごし方についても同じように考えています。専業主婦だったころに、時間をどのように使ってきたかについて試行錯誤してきましたが、その過程を無駄にしたくありません。社会や、会社に役割を与えてもらっているわけてはないから、自分で自分のことを(役割を与えてあげたり、エンターテイン)しないといけないと考えていました。たとえば家事を頑張ろうとしたり、家事の合間には、海に行って歌ったり、お菓子を焼いたり、ピアノの練習をしたり、社会を良くしようと様々な集まりに参加をしてみたり、エコビレッジに行ってみたり、…自分が落ちていかないように、私は自分の人生を積極的に生きていこうと考えて実践してきました。私は努力してきたと思います。これまでの自分の努力をきちんと認めて、次に繋げていきたいです。仕事はじめたばかりの頃は、心に空いた穴を埋めようとしているにすぎないと…
    昔のその過程を夢幻だったんだと否定しようとしていましたが、今は受け入れていきます。今日は仕事から戻ると、疲れたと倒れることではなくて、自分の世界を楽しみました。ピアノを少し練習しました。指が動かない発見が新鮮でした。弾かないと、こうもピアノが出来ない私になるなんて。不思議だなと嬉しい気持ちになりました。ウォーキングと同じく、自分の意思で自分の人生を生きている気がしました。

  • #4

    マキ (土曜日, 02 9月 2017 20:40)

    私は仕事を探す時は「仕事が見つかったらいいな」「私に仕事なんてできるだろうか?」と思い悩む選択の余地はありませんでした。「仕事を見つけなければいけない、いや見つける」という決意から来るものでした。保留ではなくて確定ボタンを押したイメージでいました。それは、夫の休職がきっかけでした。三ヶ月の休職期間に、夫は生き方を変えることを求められるから、同じように、私も生き方を変えなければいけないと思いました。さらに、私が夫の休職問題から逃げていたり、それにまつわる自分の感情から逃げていたりすると、近い未来にやってくる親の問題(年老いての問題のあれこれ)や姉の問題(知的障害)からも逃げ続けなくてはいけなくなると感じました。私は今生きている社会から逃げたりしてもいけないと感じました。今ある社会でたくましく生きていこうと思いました。そこには「私に仕事を出来るだろうか?」など思う暇はなく、神様にはバイト探しにエネルギーを使ったり、バイトの面接に落ちたりして一喜一憂している暇はありません。そんなことに無駄なエネルギーを費やしたくもありませんと言いました。とはいえ、色々な葛藤はついてまわりましたか。面接の問い合わせや、面接を受けるときの不安や緊張についても、私はどう対処したのかはあまり思い出せないのも、そういうことなのかなと思いました。実際にあっという間に仕事がみつかり、働き始めるのも時間はかかりませんでした。私が感じたことは、「~であればいいな」と思っている間は、いつまでも変わらずその通りにならない現実があることです。仕事をしている今は「上手くなったらいいな」「心開いていけたらいいな」と思ってしまいがちですが、そう思い始めるのは変化の第一歩に過ぎないと感じています。

  • #3

    マキ (金曜日, 01 9月 2017 18:20)

    ある人のブログには、小さい頃に「注意力を奪われる経験」をすることで「出来なくなる」と書かれていたのですが、仕事中にその体験をしてみてなるほどと頷けることがありました。店長が1度しか説明しないから。2度同じ質問しないようにとかプレッシャーをかけます。はじめてだから、分からないのに質問しないようにと言います。自分で考えて失敗しても良いからと言います。考えるために立ち止まっていたら、立ち止まっていても、まわりは何も応えない、なにか行動するようにと言われます。分からないことは、自分で想像してみてこれかな?と思ってやってみると、それは違っていたので、違うことをしたから怒られたので、何故そうしたかを説明したら「それをする意味がわからない、あなたの思い込みでしょう?」と責められる。5回も6回も説明しますよ、と言われて立て続けに早口でがーと説明を受けます。その瞬間は悔しくて腹もたってきて、感情がぐらぐら~となりました。瞬間は、見事に店長の話している内容がまったく耳に入ってこなくなりました。そうやって、私の注意力が散漫になって理解不能になりました。つまりは、この状態になると、できなくなるんだと分かりました。私は、思い込みではなくて、知らないだけです。理解が追いついてない自分の状況を伝えました。これからはきちんと自分の状態を伝えるようにします。きちんと出来るようになるために。おそらく、小さいころにそのような私の注意力を奪われる体験を沢山していたのかもしれません。注意力を奪われると、物事を完結しない、未完成のままです。それは出来ない体験、心に深い傷をおってしまうそうです。

  • #2

    マキ (金曜日, 01 9月 2017 15:39)

    私のつぶやき。日課。仕事に行く前には、自然の中をウォーキングすることが大好きです。私が住んでいる団地の隣には、昔からの姿形のままの、まさに「名残(なごり)」という名前のついた集落があります。このあたりでは、唯一団地化しなかった場所だと母から聞いたことがあります。守ってきた人たちがいるんだと思います。田舎道、山道、小道、いのしし道(^-^)てくてく歩いていくと、田んぼや畑の風景に季節を教えてもらったり、薄暗い空の色が徐々に明るくなってきたり、虫や小鳥がちゅんちゅん鳴きはじめたり、そういった自然の色々なことを感じたりします。同じようにウォーキングやジョギングをしている人にも出会います。「おはようございます」と声をかけたり、かけられたりします。普段は行き交う人と声をかけあったりしないのに、この瞬間だけは誰とでも声をかけあう特別な時間空間なんだと思います。ウォーキングの途中は、ちいさな神社があります。ただいまという気持ちで朝のお参りをします。ここでもお参りをする人に出会います。

    朝から仕事に行く、朝一番に仕事をするというのが私にとっては何だか嫌で。朝5時に起きて、半ぐらいから歩いています。おそらく、始めたばかりの仕事は、自分が理想とするものからかけ離れているからでしょうか。させられている部分が大きいと思います。妥協したり見ないことにしていたり、自分が機械のようにハイスピードで、効率的に無駄なく動いていくのを求められるから。毎日毎日、頑張りたいし真面目にしっかりやりたいけれど、この世界もともに一緒に働いている人たちも好きではあるけれど、真面目で優しくて、口は悪いけど憎めなくて。逆に情を感じられて、私が私であることを誰も否定してなくて。私も、もっと心を開いて話をすることが出来たらどんなに良いだろうと思うくらいです。

    朝一番は、夜が明けてのスタートは、スタートラインは、私が自ら誰にも影響されることなく、自分の意思で、自分の望んでいることをして切り開いていきたい気持ちで歩いてます。ウォーキングの後半に、視界が田んぼの風景で、広々と広がっていく場所があり、その時間帯は、朝日が眩しく私に向かって、私を貫くんじゃないかというくらいに、強く鋭く差し込みます。ドラマチックな気持ちになって朝を制した気分になります。今日1日を頑張ろうと思えます。緑に白い花が咲いているのが気になるのと、緑に雫がついて、キラキラと光っているのをみて、月のしずくみたいだとイメージします。

  • #1

    マキ (木曜日, 31 8月 2017 08:04)

    私は長年飲んできた薬を断ち、心身が自然に機能していた状態を思い出せるようにするために(生態系)、解毒と栄養補給を取り入れています。

    月のしずくという名前のミネラルウォーターが気になります。シンクロといいますか、ラビングアースさんのクリスタルのメッセージを読んだときは、ちょうど月のしずくの存在が気になっている頃でした。月のしずくにまつわる話によると、弘法大師空海が「濁乱濁世なりとも我が誓願を違わざれば水金を湧かすべし」と言い伝えがあるそうです。その水金こそ高野山の麓に湧き出でる「月のしずく」だろうと言われています。金水や銀水、などの名前もあるそうです…

    湧水(ミネラルウォーターとして売っているものですが)を頂くことについては、体質を改善する目的から気になっていましたが、(湧く、愛)イメージはラビングアースさんのメッセージによってはじめて知りました。

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