Celtic Past (シャーマニズム・ヴォイス・イン・ザ・ワールド)

Celtic Past(ケルティック・パスト) は、ケルト限定過去世退行個人セッションです。

 

ケルトが大好きな方はもちろんのこと、全く興味がない方、つながりの自信がない方など、どのような状況でも大丈夫ですのでお気軽にご連絡くださいませ。

 

 

現在の状況として、ケルトの流れが強く出てきていて、これまでの個人セッションでも歴史書では知りえないようなことがわかってきています。

 

 

ケルト文化と日本文化は深い相関関係にあり、ケルト文化を知ることによって失われた日本の古代を知ることができます。

 

 


また、それぞれの過去世をつなぐことによって、ユーラシア全体と日本の関係も見えてきており、現在の大地の動きとも完全にシンクロしています。

 

 

現在の動きと言いますのは、日本の古代においてとても重要な地位を占めていただろうと推測される日本のケルト時代(巨石と草の時代)の記憶が”シャーマンの要素を持つ方々”の中から次々と湧き上がってきています。

 

 

 

それが何を意味するものかと言えば”東と西の融合”になります。

 

 

 

これが今、女神ガイアから発せられている最も根本的なシャーマニズム・ヴォイスになります。

 

 

この高いスピリチュアル・ソフィア(哲学的理解)を言語に落とすことができない方々は、ドルイド(日本ではサニハ)パートナーを失っており、月の明かりを真の光りに昇華させられないジレンマと焦燥に捉われます。




内なる聖動をお持ちの方は、是非このケルティック・パストをご受講頂きまして、大地とのつながりを深めて頂きたいと思います。



本セッションの最も特徴的なことは、他の方との過去世とリンクすることでより一層、ご才能が開花していくということです。Past Vision(過去の記憶)が多く共有されることによってひとつの大陸が浮かび上がってきます。

 

 

その大陸がさらに皆の記憶を呼び覚まします。




それらの明確なヴィジョンとストーリー性の確保で高いシャーマニズムを手に入れることができます。

 

 

 

皆さまのご参加心からお待ちしております。

 

 

 

 

 

料金

 

 

¥15.000-

 

 

Webメールセッション(2-3往復)

 

 

 

※上記料金に含まれるもの

ケルト内地域特定・過去世受け渡し・関連の深い仲間の紹介

                   ↓

※上記料金に含まれないオプション

(希望者にはWebグループワークの場を提供)別途

                   ↓

(希望者にはリアルグループワークの場を提供)別途

 

 

 

 

 

 ☆kohya_hibiki

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コメント: 16
  • #1

    shandy (金曜日, 15 6月 2012 19:07)

    shandyと申します。どうぞよろしくおねがいします。shandyの意は私がイギリスに一年間留学していた時期に、パブで飲んでいたビールとレモネードを割った飲み物です。大好きで通っていはそればかり飲んでいました。

    まず、最初に頭に思い浮かぶのは、石との初めての出会いがイギリスだということです。アメジストクラスターだったことです。ホームステイ先のおばあちゃんが、ややスピリチュアル系の人で、石を握っては「心地よいー」など言ったり、遊びに来る人が不思議な力を持っている人だったりしました。それを機に私も感化をうけてしまい、帰国してまっさきに購入したのが「アメジストクラスター」でした。でもスピリチュアルなことには関心がなくて、イギリスの 思い出にただひたりたかったこと。やはりアメジストが綺麗だったからです。石といえば、私にとっては「ミステリーサークル」に関心がありました。学校の遠足で行ったのですが、イギリスのストーンヘンジへは3回くらい訪れています。最初は直接石に触れることが出来ました。ただ、2回目以降からは触れなくなっていました。さらに、留学中に1人でイギリスの北部の湖水地方へ旅したときのことです。毎日一人歩きをしたのですが、どうしてもストーンサークルまで歩きたくて、名前はおぼえていないのですが、誰もいないところまで歩いていきました。自由にストーンサークルの雰囲気を味わっていました。貸切でした。ミステリーサークルつながりで連想したのが、ウェールズを1人で旅したときに、雨振る 中、1人で古城の城壁の上を歩いたことです。城壁といえば、学校でも何かと城壁めぐりをした記憶があります。

    城、古城つながりで思い出すのは、数ある中でもスコットランドです。これは、帰国後両親と姉と一緒に一週間ほどロンドン、北部イングランド、スコットランドへ旅したことです。夜、私は1人だけどの城だか忘れたけど、スコットランドフェスティバルへ見に行ったことです。夜小雨の降る中でのバグパイプの演奏が忘れられません。

    古城で思い出すのは「修道院」です。趣のある雰囲気です。社会で働いている間に再び2回目の短期留学をした時のことです。北部「ホイットビー」という田舎町でした。修道院は昔のはなしで学校となっていました。キリストの宣教師を志す人が集まっ ていました。私はここで毎日キリスト信者みたいなことを英語の勉強と同時にやっていました。ここでは地元の合唱団にいれてもらい歌っていました。学校では毎朝のミサなどにも参加をして説教を毎日聴く事で、夫と結婚しようと決め手になった場所でもあります(おそるべし、笑)

    一年間のあいだに3回勉強する学校を変っています。一箇所ではなくて色々見ておきたかったからです。1回目はアメジストとの出会いにもなった「プール」という南イングランドです。海沿いの小さな田舎町です。(ボーンマスの隣です)2回目は「エクセター」です。エクセター大聖堂で有名です。城壁で囲まれた形跡のところどころに残っている町でもあります。エクセターではよくパブ通いをしました。3回目は「サウザンプトン」です。造船の町?といった印象であまりすきではありませんでした( 笑)でも、タイタニックが出航した有名な場所でもあります。

    留学中は、主にスイス、ドイツの人との出会いが多く仲良くさせてもらいました。日本人と気質的に似ていたとおもいます。ただ、私にとって1番相性がよかった人たちは、夏場に留学してきたイタリアスペインの「ラテン系」の人たちかもしれません。彼らは「遊ぶ」ことに関しては徹底していて(笑)毎日パブに誘われては、飲んだり、プールをして遊んだり(ビリヤードみたいなもの)、ダーツをしたり、躍ったりしていました。

    以上ですが、どうぞよろしくおねがいします。

  • #2

    shandy (金曜日, 22 6月 2012 16:00)

    ケルトと関係あるかは分かりませんが、高校時代そして社会人となる前に、「オーストラリア」へ行ったことがあります。シドニーとメルボルンです。ブリスベンにも。

    高校のときは、夏休みを利用してシドニーとメルボルンへ行ってきました。メルボルンはイギリス的な町並みだったような気がします。イギリス的情緒あふれる町で有名だったとおもいます。ホームステイ先では、4人の男の子が居るお宅にお世話になりました。

    社会人前のオーストラリアは、日本語を教えるボランティアで2ヶ月間お世話になりました。ブリスベンです。山奥の300人の小さな村でした。そのほか、新婚当初、夫抜きで(笑)実家の両親と兄弟とケアンズへ行ったことがあります。天候が悪くて大雨に恵まれて何も見えませんでした(悲)

    オーストラリアでは、これまた「石」と「アロマテラピー」に初めて出会った場所でもあります。ステイ先の女性がアロマの勉強をしていて、部屋にいつも焚いていました。「それは何か?」ときくと、いろいろな香りのエッセンスを教えてくれました。私はお土産にアロマセットを買って帰りました。「石」についても、知り合ったオーストラリアの女性に帰国土産として「アメジストのペンダント」をプレゼントしてもらいました。オーストラリアでは、お守りとして身につける人が多いのよ、と説明してくれました。
    そして、帰国してもアメジストを身につけていました。英会話教室にオーストラリアの女性が居たのですが、「日本でアメジストのペンダントをしている人はじめてみた!」と感動していました。

    それと、オーストラリアではケルトの音楽を紹介されました。ザ、コアーズです。オーストラリアではとても人気があるようでした。帰国してからもコアーズを聞いていてました。あと、クランベリーズなど。社会人の時に、たまたまアイルランドの女性と働く機会があったのですが、その話をすると、何故知ってるの!!とものすごく感動してました。

  • #3

    shandy (金曜日, 22 6月 2012 17:33)

    これまたケルトに関係するかどうかは分かりませんが、ケルトというよりは「石」つながりです。「アメジスト」つながりで書かせてください。韓国は2回訪れています。一回目は高校の修学旅行で。2回目は社会人の時に、両親と兄弟に韓国旅行をプレゼントした時のことです。ソウル、プサン、慶州へ行ってます。2回目の家族で訪れたときのこと。韓国では「アメジスト」が何処へいっても売られています。有名なのでしょうか。現地でアメジストの指輪を購入しました。

    振り返ってみると、「アメジスト」がついてまることもやや気になっています。(石との出会いがどの国か分からなくなってきました、笑)

  • #4

    shandy (日曜日, 24 6月 2012 13:46)

    「懐かしい」という感情を抱いていたことを思い出しました。初めてイギリスを訪れた日のこと、ロンドンヒースローから私がこれからお世話になる町「プール」までの景色を見て「懐かしい」と感じていました。なにがどう懐かしいの?というのは、言葉では言い表せないのですが、全ての雰囲気がそう感じさせるものがありました。特に「プール」という町は海と「白いかもめ」が印象的でした。公園もあったので、グリーンな感じも。「かもめの鳴き声」が今も耳にはっきりと残っています。音の記憶が濃いと感じています「懐かしい、戻りたい」という気持ちになってしまいます。この雰囲気は決して日本では味わえないです。一口に「海」といっても、「海沿いの町」といっても、何 から何まで雰囲気的なものが違いすぎている感じです。なんともいえないのですが・・
    色々な町の「音」雑音もふくめて「懐かしい」という感じで残っています。横断歩道の信号機の変る音・・人々の話し声・・バスの通る音・・自然が魅せてくれる色も日本の色とは全く違っていて、大げさな捉え方ですが、それほど私をぐっとひきつけるものがありました。そして、「プール」でお世話になったお宅のご主人が昔「船乗り」をやっていた話も聴いたことがありました。写真も見せてもらいました。腕に凄い入れ墨をされていました(日本と違って、ヨーロッパなどはおそらく、誰でもファッション感覚で入れています、全身の人も居ました、笑)。

    コンウォール地方の海はほんとうに素晴らしいです。 イギリス人の中でもコンウォールは圧倒的な人気スポットのようです。
    (逆に、日本発のツアーパンフレットをみてもコンウォールは入ってないのですよ)海を見ていると、これまた日本とは違いすぎていて、私はイギリスの地の果てと言われる「ランズエンド」という場所が好きでした。その周辺の景色はなんともいえないです。

    「アメジスト」で思い出しましたが、イギリスの田園風景。ヒースという紫の花が咲くのですが、そのシーズンになると、あたり一面が薄紫色染まるんです。なんか荒涼とした感じもあるのでその紫が花を添える感じでこれまた魅力を感じる景色でした。ラテン系、フランス人、色々な国籍の人と「キャンディーキャ ンディー」をそれぞれの言語で歌って笑って躍った記憶があります。メロディーは一緒なんですよ。私もかなりはじけていました(笑)

    2回目にイギリスを訪れたときは、ふと早朝に駅のプラットフォームで列車がくるのを1人待っているとき、「あ・・私にはやっぱりこの空気が一番あっている。日本よりも私にはこの空気があう・・」と体全体で感じていました。駅の雰囲気はとても大好きです。どんな都会の駅でも私を安心させるものがありました。いい日旅立ちというかんじでもないけど、たぶんそれ以上の意味があるようなきもします。(隣の芝生状態の憧れかもしれませんが、ようするにとても大好きなのです)

    「雰囲気的なもの 」を体と心全体で感じています。なんとなくグレーのモノトーンな感じが好きです。落ち着いた感じと静かな感じ。ギラギラしすぎていない感じが大好きです。アメリカ好きな人が「イギリスは暗いでしょ?」と話をしていましたが、私はたぶんその暗さに魅力を感じたのかもしれません。暗いという言い方はちょっと違うような・・たんにグレーな雰囲気という表現しか思い浮かびません。そのなかの海の雰囲気は眩しすぎない感じ。明るいのは明るいけど、「透明度」がすごいという感じがしました。

  • #5

    shandy (日曜日, 24 6月 2012 14:39)

    http://www.thenewforest.co.uk/map/

    いつも通っていて、気になる魅力的な場所として・・・

    ヒースローから「プール」に行く途中に「ニューフォレスト」を通ります。この場所は学校から半日OR一日旅行の行き帰りに通過するだけでしたが、名前からして魅力を感じてはいました。
    (いちどだけ、ホストファミリーと一日過ごしたことがあります。あまり、記憶がないけれど・・バーベキューをして、ビーフを塩コショウなしでいただいた記憶があります、塩コショウする習慣がないのかしら、そのへんのことは不思議に思いました)

    歴史的にも有名な場所のようです。たぶん・・
    私が半年間過ごしていた場所「プール」の地図も乗っています。
    英語サイトですが(ニューフォレストのHP)、「現地の地図」がのせてあり、位置関係をとおもい、詳しいのでリンクをはらせて頂きました。

  • #6

    shandy (日曜日, 24 6月 2012 14:57)

    イギリスとオーストラリアつながりで感じたこと。
    プールという町は、「湾」に誇りを持っているようでした。プールバーバーというのですが・・

    「プールハーバー」と「シドニーハーバー」

    「プール」の人たちは、いつもシドニー湾と対抗していました。自分たちの湾のほうが大きい!と自慢をしていました。というのも、シドニー湾は埋め立てられているので、結果プールハーバーのほうが大きいんだと語ってました(笑)。

  • #7

    shandy (火曜日, 26 6月 2012 16:48)

    関連のないことかもしれませんが、スコットランドの「ケルト」とハワイの「キルト」が重なっているように感じました。ハワイアンキルト。パッチワークですが自宅のクッションカバーとして使っています。スコットランドも、「キルト」タータンチェック。各部族?によって柄が違う?と聞きました。

    イギリスと違って、スコットランドへ行くとこれまた違う雰囲気に感動してしまいます。ひとことでいうと、凛としているし、かっこよさもあります。言葉ではいいあらわせません。そういえば、イギリスでもオーストラリアでも「リバーダンス」なるものをビデオで見たことがあります。皆で素晴らしいねなど話をしていました。

    踊りといえば、今思い出しました。サウザンプトンにいた頃に(一年間の留学の最終地点)、ホストファミリーがダンス(社交ダンス)の先生をやっていて、毎週ついていって習っていました。
    社交ダンス、最初の感想ですが、簡単なステップを覚えてしまえば決して躍れないわけではないと感じました。男性にリードしてもらえば、自分が初心者でもなんとかなりました。その辺をぐるぐる回る・・だけれども、お互いに初心者であればお互いの足を踏みつける羽目になります。お互いに、何処へ行ったらいいのか迷子になります。

    2ヶ月は通ったと思うけれど、いつも同じ中年男性とペアを組んで練習をしていました。シャルウィーダンスではないけれど、相手も初心者でお互いにどの足をどの向きに向けてすすんでいいのか分からない(笑)、でもなんか笑いも沢山あって楽しめました。上手な人とダンスをすると、進む方向に迷いがなくなり自分まで上手になった気がするのは不思議です。社交ダンスのほかにも、色々な種類のダンスを教えてもらいました。

    サウザンプトンでお世話になったホストファミリーの家庭はかなり複雑で、ホストマザーは毎日泣いてばかりいました。ホストマザーは1人暮らしでしたので、自然と話し相手が私になりました。英語が聞き取れないのと、なんといったらいいのか分からないのもあり、そんなこともあり、サウザンプトンの思いでは、わたしのなかではあまり明るいイメージではありませんでした。町そのものも私にとって心惹かれる感じでもありませんでした。ただ、タイタニック出航地で有名です。

    最後に、イギリスコンウォールの「ペンザンス」という場所がお気に入りでした。フランスのモンサンミッシェルのように、イギリスにも同じような島があって、「セント マイケル マウント」という島がありました。形はそっくりです。干潮時は歩いて渡れました。

  • #8

    shandy (金曜日, 29 6月 2012 17:24)

    高校の時、オーストラリアにて「鶏の形」をしたステンドグラスを作ったことを思い出しました。家庭で簡単に出来る「こども」向けのものです。色とりどりのビースを鶏の枠の中に入れて、電子レンジで温めるだけです。窓辺に飾ると、キラキラして、夜は満天の星空のステンドグラスのイメージです。願い事が叶っていきそうです。

    ステンドグラスといえば、「ヨーク大聖堂」のステンドグラスが美しいようです。残念ながら、あまり記憶はのこっていないのですが・・私はイギリス留学中に学校で「ヨーク」を数回旅したことがあります。スコットランドへの中間地点として立ち寄りました。「バイキング」と「城壁で囲まれた町」という印象は強くのこっています。何度も城壁の上を渡って観光した記憶があります。先生が、バイキングのことを何度も説明をしていました。「バイキング博物館」もあり、子供受けしやすいように、乗り物に乗って当時のバイキングの暮らしを再現したようなアトラクションもありました。「ヨーク」といえば、嵐が丘の「ハワース」も近いようです。

  • #9

    shandy (金曜日, 29 6月 2012 17:54)

    学校でスコットランドへ行ったときにものすごく印象に残ったことがあります。ある町に立ち寄ったのですが、「スプーン」が沢山ある町でした。町の名前は覚えていないのですが、森の中の川、せせらぎと、石橋が記憶に残っています。大きな岩も川岸にごろごろとしていました。小さくて可愛らしい印象の町。スプーン専門店がありました。銀のスプーンだったような、いや、木のスプーンだったような気もします。大小さまざまありました。よほど買って帰ろうかと思いましたが、私はタータンチェック柄の手のひらサイズの小銭入れを買いました。

    この光景とは全く関係ないかもしれませんが、スプーンについて少し調べたのですが、「ベビースプーン」という情報にたどり着きました。スコットランドでは、あかちゃんがうまれたら「銀のスプーン」を口にくわえさせて成長を願う習慣があるようです。貧しい家庭など銀のスプーンがない場合は、羊の角で代用したり、あるいはウィスキーを数的垂らしてあかちゃんに飲ませる習慣もあったようです。

  • #10

    shandy (土曜日, 30 6月 2012 14:45)

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3

    イギリスとスコットランドの国境付近に「グレトナ グリーン」という場所があります。ここは観光スポットとしても有名です。

    かつてイギリスでは「親の承諾を得ていない21歳以下の男女の結婚が認められない」時期があって、多くのカップルがスコットランドのグレトナ グリーンまで駆け落ちしていったそうです。スコットランドでは、16歳以上であれば親の承諾がなくても結婚が認められていました。

    ただ、結婚式を挙げる場所は教会ではなくて「鍛冶屋」でした。神父も牧師でもなく鍛冶屋のもとで永遠の誓いを誓い合ったそうです。なんともユニークな結婚式で、鉄のように熱々にとろけて鉄のようにしっかりと結ばれるイメージの結婚式です。

    「ブラックスミスショップ」という場所を訪れたのですが、観光ではその当時の結婚式を疑似体験できます。もちろん実際に結婚式を挙げることも可能です。学校で参加したのですが、男女各一名ずつ新郎新婦を演じてその当時の結婚式を、私は招かれたお客として体験することが出来ました。なんかロマンチックというより、鉄の斧を持った仲介人がいたような・・・とても迫力があっ記憶があります。

  • #11

    shandy (火曜日, 03 7月 2012 17:14)

    イギリスへ向けて日本を出発するときから、必ず訪れたいと思っていた場所がありました。「チェスター」という町です。

    ガイドブックなどを見て一目惚れしました。建物の美しさに惹かれました。白と黒の可愛らしい模様、チューダー様式と言われているそうです。クリスマスシーズンに訪れた記憶があります。いや、年明けだったかもしれません。どちらかは忘れてしまいましたが、クリスマスのイルミネーションが印象的でした。イギリスは、クリスマスのイルミネーションを年が明けてもしばらくはそのままにしています。

    ニューイヤーもまるでクリスマスみたいです。年があけると皆で「蛍の光」を歌う習慣があります。もちろん、英語です。「チェスター」の町のイルミネーションは、星型の可愛らしい飾り物が印象に残っています。

    「チェスター」の町で、ものすごい偶然に出くわしてびっくりしたことがあります。たしか、ウェールズに行く途中に立ち寄ったのですが、なんと町をぶらぶら歩いていたら、クラスメートにばったり出くわしました。同じクラスの日本人でした。びっくりです。当時は「エクセター」という南イングランドの学校にいました。そして「チェスター」ははるか遠い「北国」です。あまり仲良くもなかったので、そのままスルーしようとしました。とりあえず、びっくり仰天の挨拶程度で「宿はどこに宿泊予定なの?」と聞いてみたら、なんと同じ宿でした。こんな偶然があってもいいのでしょうか。ぜんぜん仲良くもなかったので、あえて宿で鉢合わせにならないように気をつけました(笑)。2重の偶然は驚きました。

    「チェスター」という町、本当に魅力的でマジックでもおこりそうな雰囲気です。「ローマ人のウェールズ侵略の拠点となった」と説明書きには書かれています。ここでも大聖堂のステンドグラスが美しいようです。念願の可愛らしい模様の建物達を見て歩くことが出来て幸せでした。ただ、幸せに浸るのもつかの間、歩いているうちに道にまよってしまい、道を尋ねると親切にも車にのせて目的地まで連れて行ってもらいました。
    (いま、考えると危ないですね、ホストファミリーにもあとで「あんて危ないの!」と驚かれてしまいました)

  • #12

    shandy (土曜日, 07 7月 2012 11:14)

    母に宛てた手紙が出て来ました。
    ~~
    (イギリス、Exeterより、1995年8月)

    Exterに来てからたくさんの友人ができました。ドイツ人、スペイン、イタリア、ポーランドなどなど、彼らとのつきあいからいろんな事を学ぶことが出来ます。たとえば、Exterでの生活。学校が終わるとたいてい友人とパブへ行ったり、ディスコへ行ったりして、夜の12時ぐらいまでわいわいと過ごし、土日は必ず友人と旅行に出かける・・・という生活リズムに多少びっくりしていると、私の友人は皆「そんな事あたりまえ」おどろくべぎき事でもないという顔をする。彼らの国では友人との交流をほんとうに大切にし、毎日の生活を心からenjoyしている・・・日本みたいに、学校がおわると塾へ行ったり、勉強に追われたり、また、休日をほとんどアルバイトでうめてしまって、自らを縛りつけるような事はしないみたい。ポーランドの友人に「夏休みは何をしてすごすの?」と聞かれて、「アルバイト」を答えると、びっくりされてしまった。「高校・中学校では塾へ通ったり、学校での補習を受けたりする」と答えると、またもやびっくり顔。青春時代をほとんど勉強の思い出でうめてしまうのはとんでもなくおろかな事だな・・と感じた。友人と色々な経験をして、色々なことを考えて視野を広げるべき時期なのに・・なんだか日本人が自分の意思をもたないという理由が極度な受験勉強にあるような気がしてきた。一日一日を勉強で終えてしまう生活・・なんだか悲しくなってきた。おろかな日本人。

    ・10月14日から22日まで休みを取ることができました。私としてはロンドンと湖水地方9日間という計画で、ツアーではなくて、個人的な旅行をしたいと思っているけれどどう思う?

    ・良い写真ができたので同封します。この写真は‘Sidmouth’でとった写真。・・左ロシア人のジュリアン、中央スペインのラケル、2人ともとても良い友人!

    ~~

    母宛(家族宛)の手紙や絵葉書を、ひとつひとつ取ってくれていました。高校時代から全てをとってくれています。これをもう一度読んでいくことで何かしら思い出す事でてくると思います。

  • #13

    shandy (土曜日, 07 7月 2012 11:17)

    留学中の、ヨーロッパの友人達について

    遊んでばかりいるかといえば、そうではなく勉強もしっかりしていたように思います。ヨーロッパの人たちは、授業でも自分の頭で考えて結論を導き出すことが得意でした。印象的だったのは、英文法の授業です。日本の授業では、なんでも公式のように丸覚えをして覚えた記憶がありますが、彼らはそれも「なぜそうなるのか」を、理解しようと時間をかけていました。その文法の授業の話し合いに私はあまりついていけませんでした。文法の成績は良かったけれど。彼らが常に物事を話し合ったり、討論したりする習慣があるのも印象的でした。話題が豊富だし、時事的な問題に詳しいと感じました。

    授業中に「討論」そのものについて考えていく授業があって、相手の意見をまずは受け入れる英語の言い回しを習ったりしました。
    (たとえば、自分の意見を述べる前に「あなたの言いたいことはわかるけど」「とても良い考えだと思うけれど」など、相手を肯定(尊重する)ことをしてから、自分の意見を言い始めるなど、習いました。

    正直に言うと、授業のやりかたは日本とは全然違う雰囲気だったので、意見を持たない、意見を言えない私はかなり苦労したし、ついていけない部分が多かったと思います。頭の構造が違うんじゃないかと思うくらい、論理的に物事を考えられなかったりしました。ただ、私だけではなくて、日本人にはほぼ全員そういう傾向があったように感じました。日本人だけが静かで意見が言えていませんでした。自分の国のことを説明することも苦労しました。日本の伝統について、宗教について(仏教のことは聞かれる)、文化についてもよく聞かれたりしましたが「習っていない」「知らない」を言い訳にしたくても、それは恥ずかしいことだし、静かにしている事が精一杯でした。「西洋化しているし、生活では触れないから分からない」は言い訳にならないのを感じました。

  • #14

    shandy (土曜日, 07 7月 2012 13:43)

    イギリスで大好きな場所の1つ、南西部に位置する「コンウォール地方」

    ここでは「コーニッシュパスティ」というミートパイのようなものが名物です。学校からも2泊3日でいったことがあり、「パスティ」の説明も先生から受けました。ただ、英語の聞き取りにあまり自信がないので、わずか理解することが出来た部分を辿って調べてみました。「鉱山」「持ち込む」「精霊」という単語は覚えていたので、それを頼りに調べてみると次のようなことが分かりました。

    「コーニッシュパスティ」はスズ鉱員のためのランチパックです。朝、昼食と鉱山の中で食べていたそうです。ただ、両手は泥などでよごれてしまうので、汚れた部分はその場に捨てていたそうです。
    捨てられたものは、鉱山内に住む精霊の空腹を満たしていたと信じられていたそうです。そして、冬場などパスティーは側の部分が熱くて、保温効果もあるので、鉱員にとっては「ホッカイロ」のような役割も果たしていたそうです。今では、パスティ屋さんに行くと、自分のイニシャルなどを焼印をつけてくれるところもあるそうです。それは、鉱山時代の名残だそうです。自分のパスティだと人目で分かるようにするためだそうです。私は、コンウォールを3日ほど訪れているのですが、このパスティを美味しく頂いた記憶がよみがえってきます。

  • #15

    shandy (火曜日, 10 7月 2012 09:22)

    留学中に感じた事。どんなに素晴らしい出会いでも環境でも必ず別れというものが存在するということ。色々な出会いがあり、色々な別れがあります。

    高校時代は、一ヶ月間のオーストラリアでのホームステイだったのですが、あまりに大好きな場所で大好きな人たちに囲まれて、毎日学ぶことも多くて、新鮮そのものでした。ただ、一方では楽しければ楽しいほど、「別れ」のことも同時に感じていました。毎日が過ぎているスピードが、普段よりも速く感じていました。

    笑が耐えなくて楽しいけれど、別れの日がくることをイメージしては、私は毎晩ベッドの中で泣いていました。別れがくるのが分かっていたからです。家族の一員のように接してくれていたので、私も家族の一員になりきっていたので(ホストファミリーのことを実際に「おとうさん」「おかあさん」と呼んでいました、それぐらに実際の家族のようでした。

    私は悲しくて、でもプレゼントはしたいと思っていたので、毎晩「鶴」を降りました。最後の日に鶴をプレゼントしようと思っていました。内緒で毎晩鶴を折り続けました。上手ではなかったけれど・・そのとうじはインターネットも何もない時代。日本とオーストリア。もう二度と会えない心境でした。

    最終日は、涙の別れでした。私は人一倍緊張して固まってしまうタイプなんだけど、人一倍別れに敏感で泣くことを抑えきれないタイプなんだと感じました。泣くのを我慢できないタイプだと留学経験を通じて分かったことです。

    それと同時に出会いは宝なんだと学ぶことも多かったです。一人旅も沢山しましたが、その場との永遠の別れのような心境でした。ただ、自分が戻る場所があることは素晴らしいことだとも感じました。関連して留学時代、ある人が言ったことを思い出します。別れで皆悲しんでいると、一人だけ突き抜けたことをいっている人が居ました。「空という一つ屋根の下にいるのに、皆つながっているのに、なぜ悲しむ必要があるの?」と話をしていました。

  • #16

    shandy (火曜日, 16 10月 2012 16:19)

    オーストラリアにて、高校時代一ヶ月間のホームステイ。
    色々な動物を教えてもらいました。「クッカバーラ」という鳥が私にとっては好印象でした。鳴き声が人の笑い声なんです!歌まであって、その曲何度も歌って覚えました。社会人になって、大勢の人の前で歌ってしまった私。それぐらい、大好きな曲でした。

    今調べてみると、日本語では「ワライカワセミ」?
    アボリジニでは、神聖な鳥みたいです。暗闇しかなかった世界に、沢山の薪を燃やして太陽を創った。その時の神様の使いが「クッカバーラ」だったそうです。クーーーーカカカカカカーーーと、笑い声みたいで、笑い声とともに光の世界も誕生したのでしょうか・・・

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