Risouron (理想論)

このセッションでは、異性・パートナーとの一般的な問題についてのご相談を受け付けています。異性・パートナーとの問題は、ご本人にとっては、個別的事情のように感じてしまいがちですが、理想の投影や、両親からの精神的自立など、普遍的テーマがその根源になっている場合が多々あります。

 

つまり、この普遍的テーマを冷静にご自身で乗り越えれば、愛する異性・パートナーとの健全かつ長いパートナーシップを構築することは難しいことではなくなります。そのあたりのことをお伝えし、問題を解決していきます。

 

 

本来、異性への理想というのは、女性にとっては父親、そして男性にとっては母親がその最も根源的なものになりますが、何らかの理由によって理想とする父親や母親を持てなかった場合、異性に対して自分の理想の親像を異性の中に投影してしまいがちになります。

 

 

 

そのことが反って理想の異性を遠ざけていることを気付くことができるならば、このセッションの意味合いはとても大きなものになると感じます。理想の親像とのつながりがあれば、異性にもその親像を投影することなく、人は常に優しくなれるものですし、誰に対しても心は開かれます。

 

 

つまり、パートナーとの関係性は多くの場合、幼少期の親像とも密接に関わっており、それらを客観的に見つめ、自分自身の問題として捉えられたなら、より一層自分自身のことを理解できるようになると思われます。

 

 

そのためのサポートとして内なる理想の異性像を徹底的に宣言するセッションが本セッションのひとつの目的となります。

 

 

 

内なる理想を極限まで高めることにより逆に異性には理想を求めなくなります。

 

 

また、内側の男性性と女性性の調和力という問題において、自分にめぐってくる様々な異性との問題を冷静に見つめ、問題のあるところは改善しつつ、より良き異性とのフレンドパートナーシップを築くプラクティスセッションでもあります。

 

 

 

また、現在のパートナーとのやりとりの中で、理想とは違う、何かを感じてしまった場合、どこまでを許して、どこからが許容できないのか、など。さらには許せないものがあったとして、それを許すためにはどうすれば良いのか、あるいはそれを許し続けていくことが自分の生きる道なのか、あるいは、それ以外の道を選択すべきなのか、など、様々な角度から自らの方向性を導く方法論となります。

 

 

理想ではないものの受け入れ、相手に合わせる行為は、限界がある、あるいは理想等を捨てて、あるがままにすべてを受け入れる、という行為にも限界があります。

 

 

自然体でいられるパートナーが理想ではありますが、現実的には難しい場合も多く、互いに理想を求めてしまうことによって、徐々に窮屈さが増してきます。

 

 

どれだけ話し合うことによって相互理解していくのかもひとつの課題でありますから、どこまでも話し合いで決めていこうとする意志こそが理想を導くひとつの精神状態ちうことが言えるでしょう。

 

 

 

 

料金  ¥15,000-

 

 

 

期間  2週間のメール・掲示板スクランブルセッション

 

 

 

 

 

☆kohya_hibiki

コメント: 31
  • #31

    胡弓 (水曜日, 16 5月 2018 17:46)

    腹立つこと。理想は、母にとっては「子供の人生そのものを生きる」なんだと思う。いつまでも自分のこどもでいさせて。こどものために何かしていく、それが生きかいになっていて、常にこどもの舞台に上がりたがってくる。気にしてくる。それをのけたら母は自分がなくなってしまう。

    母は、私と姉、二つの舞台を行ったり来たりします。姉は母には構ってもらいたいから、でも自分が強くありたいから(私が守るいないと母は駄目)という言い方をします。

    この母のパターンを私も引き継いでいるなと思います。自分の理想、生き甲斐になりそうな物や人に出会うと、同じことをしていたかもしれないと思います。今でも向き合わないと行けない理想の投影です。こどもは親から得られなかったものを(奪われてきたものを)、親からされたことと同じレベル(やり方で)で、他者から得ようとするかもしれません。

  • #30

    胡弓 (水曜日, 16 5月 2018 17:11)

    時に腹立つこと。母はこどもの人生の舞台に上がってくる。母の舞台があるのにどうでもよくて、こどもの舞台ばかりみている。一挙一動を見続けている。こどもの舞台を自分の舞台だと勘違いしたまま、自分の舞台があることを忘れて生きている。本当に子供以外のことは全くしようとせず、それを「私のことはどうでもいいの」と。家事はしない。掃除はしない。なにもしない。だって、こどものために忙しいからそんな暇はないと。めんどくさいと。私の母はその傾向が強いと思う。あのこは私がいないとダメと。それを「あなたのためにしてあげてる。あなたが心配だ、あなたがかわいそう」「あのこは私が守る」など言ってくる。全て自分のため。姉は弱っていく母をなんとかしなくては、と。私がいないと駄目な母だからと言ってくる。常に一緒にいようとする。そうすれば、母から自立しなくてすむもんね。共依存の関係。

  • #29

    胡弓 (水曜日, 16 5月 2018 00:26)

    仕事をして、仕事に自分の人生を奪われる?のを避けたいと思い、本来の自分を生きたいと、そのためには何をどうしたら良いかあれやこれやと考えて、思い付いたことを実際に行動していく日々…

    それに伴い家族の問題に直面しているから…
    (親兄弟の問題は人として生まれてくる以上は避けられない、人間の宿命だから(母が言う…)、一大事みたいに騒いだりしない自分でありたいとも思う)

    気がついたら(心が)忙しくなってしまいます。余裕がなくなってし枚ます。

  • #28

    胡弓 (水曜日, 16 5月 2018 00:14)

    必死な自分がいます。仕事をするようになり、自分が自分らしく生きれなくなることが怖いのです。私は自分を表現していける舞台を探し続けています。だから、音楽部では一人で10分というステージを与えてもらい、自分の好きを音で表していくことに達成感を味わいたいと思ったりします。自分のこころのつぶやきを歌にしてもらうことも…
    (訳あって、歌の集まりは秋まで休むけど)

    畑についても同じ理由です。畑を借りて(畑もステージだと思う)、種を植えてから収穫して、収穫したものをどうするかを、自分の好きなやり方で表していくことに生き甲斐を見いだしていきたい…ただ、現実は園の指示通りにしないといけないけれど、でもそのあたりは妥協出来るかなと思っています。家族も巻き込んでいけると、私も誰もが、家族皆が元気になれる気がします。


    天然酵母パンも同じ理由です。自分の好きなものを明確にして、好きなものは出来るだけ自分の手で作っていきたいとの想いから来ています。仕事から疲れて帰ってきて食べるランチは自家製の天然酵母パンが良いなと思ったからです。体に良いものも食べたいし…
    (普段はホームベーカリだけど、たまに手ごねでも作ろうと思う…)

    巻き寿司も、仕事だけで終わらせるのではなくて、趣味にしてしまいたい…

    自分の好きを自分で作り、それを披露していきたい。音楽部で歌いたいと思う気持ちとおんなじで…
    家族にシェア出来て、出来れば知り合いや友人など…シェア出来る居場所があればいいなと思っています。

  • #27

    胡弓 (火曜日, 15 5月 2018 23:38)

    仕事から帰ってきて、遅いランチをして、しばらくは床で寝てしまってました�時間を無駄にしてしまったと悲しい気持ちになりました。けれども、悲しみに暮れている暇はないと思い出しました。昨日収穫した沢山の二十日大根を洗って(母が大分手伝ってくれました)、どのように保存したらいいかを調べ始めました。甘酢漬けや塩昆布の浅漬にしようかなどレシピを色々見ていきました。晩御飯作りも楽しみました。にんにくの芽、空豆なども収穫していたから、それらをつかってみました。

    収穫したものをその後どうするかを調べたりするのも楽しい作業です。自然に触れて、生きてるという感覚がしてきます。お陰で疲れも癒えていきました。

    明日は仕事はお休みです。週休2日ですけど、明日が休みで本当に良かったです(^-^)明日になったら、必要な材料を買いにいって、早速自分の好きな形に仕込んでいくつもりです。楽しみです(^-^)

  • #26

    胡弓 (火曜日, 15 5月 2018 07:24)

    2年間えこびれっじに通ってましたが、今は家から徒歩で通える農園で自分たちの畑を借りています。家族内の繋がりと、家族ぐるみでの地域での繋がりを大切にしていけたらいいな。家族で元気になれたら嬉しいです。

  • #25

    胡弓 (火曜日, 15 5月 2018 00:38)

    今日は近所にある体験農園に行きました。二十日大根が収穫の時期を迎えているから、家族を誘ってみました。母と夫と収穫だけでなくて、支柱をたてる作業をしたりしました。園主さんも居合わせて、やるべきことを色々教えてもらいました。きもちよい場所で、土に触れる喜びを家族で分かち合えることが嬉しいと思いました。オーガニックにはこだわってはいないところではありますが(肥料や薬は必要最低限かな?)、それでも地元の農家の人から畑のいろはを教えてもらいながら、家族ぐるみで畑のお隣さんともお話したり、繋がりあったりすることが嬉しいなと思いました。今日は土に触れる喜びを味わえて、自分だけでなくて家族と共有できて良かったです。このような繋がりの喜びがあるから、色々辛いことがあっても頑張れます。

  • #24

    胡弓 (月曜日, 14 5月 2018 13:04)

    辛いときは全部をやろうとしないで、1日に1つでも何かしらちゃんと出来たら良しとしようと(他はボロボロでも)、よしもとばななさんが日記の中で書いていました。私はかつてその考え方に救われたことがありました。

  • #23

    胡弓 (月曜日, 14 5月 2018 11:25)

    やめたら良いと思ったことは、やめたら良いのです。

  • #22

    胡弓 (月曜日, 14 5月 2018 11:09)

    私の理想に基づいて、やっていること。
    自分の好きを探して、好きを形にしていく。
    形にしたものをシェアしていける居場所(仲間)を探す。

    私はパンを食べるのが好き。食べ過ぎてしまうくらいなのが悩み。だから、天然酵母パンを自分でつくれるようになろうとしています。ホームベーカリーをメインに楽しくつくって食べること実践中。手ごねでも色々作れるようになることが私の理想です。それを分かち合える場所もなんとなく見つけているから、いつかお邪魔してみたい。

    飾り巻き寿司教室に通いはじめたばかり。仕事だけでなくて、仕事を習い事や趣味の世界でも楽しめるようになりたいからはじめた。資格に繋がるコースもあるらしく、万が一生活のために、というのが大きな理由。家族が働けなくなる恐怖から、…

    通ってみて気がついたことは、仕事でやっていることは一切通用しない。仕事はスピード、機械のように正確にやれば良いだけだから。飾り巻き寿司は、美意識、芸術性など、手先が器用なことや、心も美しくないと通うのが辛くなりそうな予感です。劣等感につながりそうです。

    巻き寿司教室は、選択誤ったのではと考えることがあります。そもそも習い事に通う必要ないのでは、と考えはじめています。自分で、お家で、興味もって、どんどん作る方が大切だから。習い事でやったことを自分のものに出来ていないなら通うのは無駄。その場限りのクラス設定にもなっている気がします。(教室がわにとっては、通い続けてもらいたいわけだから、)

    でも、自分の喪ののみかたに、バイアスがかかっているかもしれないから、分からないことだらけです。



    理想はこうだけど、現実はという部分で気持ちバラバラな行動をしているのと、自分の意図(糸)が絡まってしまい、がんじがらめな状態になりがちです。少し立ち止まってみることも必要かなと思っています。

  • #21

    胡弓 (月曜日, 14 5月 2018 10:15)

    今朝受け取ったメッセージ。辛くて気持ちに余裕がない時にあらわれるとのこと。

    これまでに沢山の努力をしてきたにもかかわらず、願いがなかなか叶わないからと言って、諦めや疑いの気持ちを持ったりするのはやめましょう。そうなりそうだったら天に気持ちを預けてください。理想という栄養を与え続けてください。全てにはタイミングがあります。あなたの願いは少しずつ形になりつつあります。



    私はエンジェルナンバーを参考にしています。今日は手が滑り、間違えて出てきた数字。タイミングよく、その時必要なメッセージをもらえてる気がしています。

  • #20

    胡弓 (日曜日, 13 5月 2018 00:35)

    現在の仕事について。理想を持ち込まず、現実を選んだこと、その結果私が感じたこと。

    今の自分が納得いく職場ではないかもしれないけれど、実は大いなる導きによって、今の私に適した職業につなげてくれたのでは?と感じる面があります。というよりは、それを信じています。導きというのは、私のスタッフナンバーがいーな、いーな、ゼロなのです。車の駐車場のナンバーは22でした。今は違うけど、これは復活を表すんだなとシンクロでイメージしていました。私が悩み苦しむことのないように、人間関係についても優しい人達に囲まれて働けるように、大量生産、大量破棄、添加物だらけであっても、仕事そのものにやりがいを感じられる巻き寿司の仕事が準備されていたり、私が家族の支えにならないといけない以上は、家族のことで悩む必要があるから、仕事のことでは悩んだりしないように、よい環境を御膳立てしてくれている大いなるサポートを感じています。

    家族が病気になって働けなくなったとき、私は急いで仕事に就かなければと思いました。迷う考える時間なんてないし、面接で落ちてがっかりする猶予なんてないと考えました。家族の休職が始まるのと同時期に、私は仕事を始めなければいけないとのインスピレーションを持ちました。さらに、自分のどのような職業がいいかの願望を(理想)を現実に持ち込む余裕すらないと思いましたかつてのように、世の中を良くするための仕事とこだわりを持っていたら、仕事はみつからないと考えました。私は現実を選びました。社会悪な環境で社会悪なものを作っているかもしれませんが、…でもたまにそのような考え方をするのは、とてもふくざつな気持ちになります。罪深いことかもしれないとおもったりもします。あの優しい人たちの顔が浮かんできます。

  • #19

    胡弓 (土曜日, 12 5月 2018 20:09)

    昔の話をもういちど振り返る。今の仕事につく数年前のこと。

    パートナーが元気だった時から、仕事をやりたいとは思い始めていました。なぜあなたは仕事をしていないの?という目てみられることもありました。そのたびに人には言えない「私は過去に仕事に挫折をして今でも出来ないことが多い、仕事が出来ないんだ」との想いを持ち続けていることが苦しくなっていました。それから、やはり仕事をしている人が耀いてみえてはいました。えこびれっじ活動や勉強会のような場所でも、お互いの自己紹介の時間が必ずありました。何の仕事をしているかを言ってくださいね、とありました。私は専業主婦とか、健康になって社会復帰を目指していると言うこともありました。なせ病気になったのかの背景を知り、世の中を良くするための活動に興味があると言うこともありました。まわりの人たちは世の中を良くする仕事をしていました。私は憧れの気持ちでみていました。仕事をみつけるには、自分の納得のいく仕事しか応募しないと決めていました。地道に活動をして、いつの日か縁が出来て何かしら憧れの社会復帰していけたらいいなと。よのため人のために繋がりそうなところとか、個人の人がこだわりをもっていそうなお店とか。

    らっきーなことに、私にも縁が巡ってきました。えこびれっじ仲間とたまたまお茶をしに行ったお店の人とおしゃべりしているうちに、アルバイトしてみないか?という話になったことは以前ひびきさんに話をしたと思います。私が病気回復中で、ブランクが長いのをわかってもらった上でのお話でした。このような雇われかたもあるのだと嬉しくなりました。繋がり…でも、現実は三回で駄目になりました。当時はやめさせられた意味が分からず納得いかなくて、くやしくて、この体験をバネにアルバイト探しを始めようと考えるようになりました。求人を久しぶりにみたり、履歴書を書きました。どのような仕事が理想なのか、マニュアルかされて、大量生産、大量破棄、添加物だらけの食を扱うところは言語道断でした。

    本音は、人繋がりで、縁で、世の中を良くするための仕事につけるのが嬉しいけれど、けれども、現実は難しい。だから、求人をみる。行動に移してみると面接でまもなかなか採用に結び付かなくて、扉を開いていくことは出来ませんでした。ブランクが長いのと、過去に挫折したのもあり、「出来ないことが多いからと」選択の幅を自ら狭めていったのもあると思います。なかなか採用に結び付かないから、そのうち「私は専業主婦のままでいい、家事の合間に世の中を良くしようとする活動に参加していたらいい…」と思うようになりました。仕事を探すのをやめてしまいました。一年後、家族が働けなくなる日がやってくるまではのんびりしていました。

  • #18

    胡弓 (土曜日, 12 5月 2018 07:19)

    理想に反して就いた職場。大量生産、大量破棄、添加物だらけかもしれませんが、人間関係には恵まれています。皆優しくて元気あって(口は悪いけど)、よい人たちだと思います。気取らず自然体で、裏表がなくて、素直で、支えられてる、助けられてると思っています。私の未熟な面も許してもらえてるとしみじみ思っています。なので、自分がこんな職場なんて…と思うとき、戸惑いと共に自分を省みたくなります。

  • #17

    胡弓 (土曜日, 12 5月 2018 00:05)

    私の理想と現実。仕事を始める前、えこびれっじに参加していたころは、世の中をより良くしていこうとするための活動や仲間に出会ってきました。その中での縁繋がりで、仕事を見つけられたら良いなと思っていました。縁がなくても、自分で納得出来る仕事を見つけられたら良いなと思っていました。けれども、仕事をみつけることはむずかしく、理想とは遠い職場(利益を逐うばかりで、大量生産、大量破棄、添加物だらけ)に居ます。これからの時代、(人の縁、ひととの繋がり)が大切になってくると感じます。求められるのは、円ではなくて縁だそうです。それは、私には欠けている要素だと思います。

  • #16

    solo (木曜日, 29 8月 2013 23:36)

    動じない人。芯がしっかりしている人。
    感情移入しすぎない人。

  • #15

    sola (火曜日, 27 8月 2013 07:20)

    あらゆる出来事は男性性女性性にかかわって来る事なのでしょうか。全てが置き換えられるような気がします。理想の異性像は、いいかえると自分の理想像でもあるかなと感じます。人は鏡で自分自身の投影にすぎない、という感じでイメージすると「自分が自分に対して抱く理想像(自分の理想像)」があるということは、いったい何を意味するのでしょうか。私の心の男性、女性を想います。

  • #14

    sola (土曜日, 24 8月 2013 16:51)

    理想論、つまり「女性性男性性の統合」をテーマにしていると感じる部分があり、思いっきり発散して書かせていただいています。女性性、男性性の心の奥の闇の本音を深い部分の闇を見つめて書いていくことで何が見えてくるかな、など思います。遠慮なく書かせていただいています。遠慮なく書いていける環境に感謝します。読んでいただきありがとうございました。

  • #13

    sola (土曜日, 24 8月 2013 16:48)

    自分を抑圧していて自分を表現できない、自分らしい生き方が出来ない事も、誰のせいでもない。私の選んだ道。魂の課題。現実として受け容れろ、と言われた事実。あなたのハイヤーセルフは厳しいね、と言われました。タワーの逆位置がでたそうですけれど、でも離れるという選択は魂が望んでいない、それを現実として受け容れることだと言われました。昔の話です。自分ひとりが生きているんじゃない。色々な関係性の中で生きているから、抑圧したりされたり思うように生きられないそんなあたりまえの現実です。それを私は人のせいにしたりなんかしません。受け容れています。

  • #12

    sola (土曜日, 24 8月 2013 16:44)

    思い出しました。あるセラピストさんに「現実として受け容れること」とアドバイスを受けました。ずいぶん昔に頂いたアドバイスですが。「よき理解者で居続けること」「喜怒哀楽を共にする事」「魂の縁が深いことも」私にとっての学びだと受け容れています。そこに「幸せにして欲しい」なんて気持ちがあったとしても、そんな感情突き抜けてもう受け容れています。お互い様精神でやっていくうちに、手を上げられることも無く、むしろ良い関係に落ち着いています。10年以上ですが、2回の衝撃体験でした。学びだったと思います。



  • #11

    sola (土曜日, 24 8月 2013 16:26)

    「自分をしっかり持っている」は長所で理想だけれど、本当に男性的魅力だけれど行き過ぎるとバランス崩してしまう。自分の意見も正しい、相手のいうことも正しい(それは相手の世界観だから、相手にとっての正義)その中間部分を見出すことが必要なんだと思います。頭で考えるとそれが理想。その作業をしないと、自分が正しいのだから、違 う意見を持つものを排除したり支配的になってしまうと思います。

  • #10

    sola (土曜日, 24 8月 2013 16:09)

    理想とする異性は、スピリチュアルでいうと究極的にはツインソウルというイメージを抱きたくなる時があります。誰にでもツインソウルは存在していると考えると、私にも…と結構真剣に考えることがあります。それは魂の課題として。ロマンチックに甘い話ではなく、厳しい過酷な魂の錬金術だと聞いたことがあります。すべてにおいて正反対なので揺さぶり感がすごいとのこと。恋愛や愛し愛される関係を持つことから卒業して越えないといけないなど聞いたことがあります。リハーサル的な人に出会ってからある程度浄化が終わって?未来に出会うのかもしれないパターンもありえると。夢物語のようで、かなりリアリティー究極な異性に対する理想論です。夫婦などでツインソウル同士だと、そういったことをクリアする事が最終課題だと聞いたこともあります。

  • #9

    sola (土曜日, 24 8月 2013 16:06)

    夫は私の出来ないことが多すぎるのも受け入れてくれています。わたしがあまり出来ないので我慢してくれていると思います。社会的に自立していないことを分かっていて、長い目で見てくれています。私が働けないからといってお金の心配をする必要のない環境を認めてくれています。理想とはなんでしょう。このようにする事が理想、でも現実との問題とあわせてみることも必要です。私はどうしたらいいのか、考えていきたいです。

  • #8

    sola (土曜日, 24 8月 2013 16:04)

    夫は私が家のこと以外で、外の世界で忙しく活動したりする事が面白くない様子。何事も程々にしろよと言います。でも、結局は私の好きなことをさせてくれています。行き過ぎると夫からストップがかかります。夫が望むこと、私がやりたいことの中間点を常に意識して行動しています。活動はかなり制限しています。メンバーに話をして、その事でメンバーと気まずくなることもありますが。夫婦はどちらからともなく自分がやりたいことだからといって、パートナーの気持ちを無視していくとバランスが崩れていくのだと思います。「抑圧を強いる」という表現が気になってしょうがないです。被害者、加害者意識など押し付けるとか、押し付けられるなどの関係性から来ている気もします。
    パートナーは二人でひとつなんだから、どちらか一方的に悪いということはないと思います。

  • #7

    sola (土曜日, 24 8月 2013 16:02)

    夫は今、障害を抱えている人と一緒に働いています。毎日が大変だと話をしてくれます。夫は短気で、人の気持ちを押しはかっり、人の立場で行動することが苦手です。夫は、知識や記憶力などが人の何倍も凄くて、仕事していると出来ない人をバカにしたくなるとそれが自分の欠点だと正直に言います。人とのコミュニケーションが苦手だと。つい嫌な態度で怒鳴ったり衝突したりするそうです。なので、今回障害を持つ人とのやりとりも同様に大変だと言います。「自分は自分の考えが一番正しいと思っていて、それを押し付けようとしてしまうんだろうな」と私に話をしてくれました。私は、自分の心の傾向をちゃんとみつめようとしていることがすごいと思ったし障害持っている人も「こだわりの固まり」みたいなところがあるから衝突していくと大変だろうねと話をしました。夫を攻める気持ちにはなれない。障害は家族間でも難しいです。過酷なことだと分かるから夫の話を聴いていました。夫は自分の弱みを正直にはなしをしていくところが好きです。

  • #6

    sola (土曜日, 24 8月 2013 16:00)

    夫と私、とてもお互いを思いやっている関係性です。夫からも私たちはお互いを尊重しあっているよねと以前話してくれたことを思い出します。ロマンチックな恋や愛などは程遠いけれど。夫の嫌なところ全てひっくるめてゆるしているし、夫も私のことを同じようにみていると思います。お互いさまだとよく言います。喧嘩はしませんね。時々感情が爆発するけれど、どちらからともなく理屈抜きに謝ります。引きずりません。する必要がないくらい、わかりあっているから。美しくも、かっこよくもないし、不器用な二人だけど、ありがとうごめんね、おはようなど言葉を大切にしています。私を大切にしてくれます。理想は付き合ったりしているひとが理想になるとはいうけれど、私の場合も申し分ないというか、実は花を愛でるなどは夫からのイメージだったりします。旅先でよく花の写真をとったりします。夫は大切ですね。理想かも知れません。

  • #5

    sola (土曜日, 24 8月 2013 15:58)

    理想ってあまり思い浮かばないですね。スイーツを趣味で作る男性、ただこれは私のためにではなくて、本当にそんなこと関係なしに「夢中」になって我を忘れてやっている感じをイメージします。自己満足の世界。そして私はこれまた現実的ではないのですが、ハーブなど研究していたり、植物を温室や庭で育てていることが趣味で男性がスイーツを作っている傍ら、私は香りのいいハーブティーを入れているという設定です。私はとても美人になっていて、すらっとしていて白いドレスを着ています。髪はゆるやかなウェーブがかかっていて
    男性はイチローみたいで・・美男美女という感じ。なんだろう、、ゆったりとした時間幸せな空間、昨日から部屋そのものも白を基調としていて、身につけている衣装も白です。男性の作ったスイーツと一緒にハーブティーも頂きます。

  • #4

    sola (土曜日, 24 8月 2013 15:56)

    理想の異性、、って何だろうとぼんやりしていると、「なにやらスイーツを作る事が趣味」な男性が登場してきた。話は本当に現実的ではなくて、頭に心に思い浮かぶ光景をそのまま書いて見ます。

    仕事がお休みの日は、生きがいといわんばかりに、台所を独り占めしておやつをつくることに夢中。テレビも消して音楽もかけずに静かな空間でつくっている。お菓子ずくりの本など片手に、でも男性ならではの冒険心でオリジナルなものを日々研究して失敗成功を重ねながらやっている。

    キッチンが家中が甘い香りに包まれている。その甘い香りで私の気持ちはとろんとなりそう。お菓子ずくりといっても、何故か研究者のように獲物を追うような目になってる(笑)

    いつも最高のものが出来上がる。失敗はない。失敗をしたとしても、その失敗を利用して別のオリジナルな美味しさが出来上がる。魔法みたいに。「完成ー」と声が響き渡る。お互いに美味しい、、と微笑みながらゆったりとした時間を過ごす。「片付け」は私がやるよ、と言う。「だってすごく美味しいスイーツ」なので片付けは私が、と・・

    男性は翌日からまた仕事へ。野球の選手をやっていてイチローみたいな雰囲気。野球選手の休日の過ごし方は趣味がスイーツ研究だった、でも片付けは私。で、男性は決して料理はつくらない、という設定がいいです(笑)

    この理想の男性像&光景は私のどんな心理をあらわしているのでしょう・・・

  • #3

    sola (土曜日, 24 8月 2013 15:51)

    イメージの世界に浸ってしまう。花畑にて花の妖精が出てきて、大地と花と妖精が一体化したような存在と出会っている私がいました。歌を歌ってくれています。風が吹いて花の香りにつつまれて、私はこの世の苦しみから癒されようとしています。驚いたこの瞬間に、悲しい涙が溢れてきた。別れるのが悲しい。留まりたいと感じた。
    (自分の心に驚いています・・・物語のような世界を自分の空想のように、そこに浸りきって本当に理想の人に出会えたような感覚に陥り、そのエネルギーを感じようとしてうっとりしている自分がいました。現実に戻りたくない、と)

  • #2

    sola (土曜日, 24 8月 2013 15:49)

    理想論セッションでは、お世話になります。書いた瞬間、恥ずかしいです。書くだけで幸せな気持ちになるし、頭がおめでたくなったらどうしよう(笑)メルヘンな頭になったり、私はイメージに入り込みそうなので、自分で書いて自分で想像しては笑ってしまいます。平和になりそうです。そういった意味で、すごく抵抗あるんですけけれど。あと、傲慢な私が出てきたらどうしよう、という不安もあります。「理想じゃない人」も同時に出てきて、それが私の心の闇として出てくるから。男性を理想、理想じゃないと分けていくようで、ちょ っと罪悪も出てきます。理想を上げていくときの心の変化、すごい興味がでてきました。少し書いただけで、こんな気持ちが現れるなんて、など思います。

  • #1

    sola (土曜日, 24 8月 2013 15:45)

    異性の理想とするタイプって私の中に存在しているのでしょうか・・・
    でも、こういったことを思ったり感じたりして書いていく事は良い機会ですよね。「花屋で働く人」がイメージとしてよぎっていきます・・・笑

    あと変りますが、「声」が気になります。声がいつまでも印象に残るタイプです。声の素敵な人・・雰囲気と声が調和している感じ・・・

    ・・・すみません。理想だから、イメージ膨らみすぎて現実的じゃな くなるかもしれません。かなり不安ですがどうぞよろしくお願いします。

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