Astrological KANI(蟹座の変容宮)

不安や怖れ、満たされない何か、どうしようもない空虚感、を持たれる方も多いと思いますが、【Astrological KANI(蟹座の変容宮)】では、不安や怖れ、満たされない何かやどうしようもない空虚感を冷静に分析し、最終的にはその空虚感を楽しんでいこうというレベルにまで持っていきます。


まず、セッションを行い、その後は希望であればグループワークを選択できます。


不安や怖れ、空虚感が増大してきますと、誰かに何かを求め過ぎたり、通常は考えられない行動でその空虚を埋め合わせようとする場合もあります。


しかし、この不安や怖れ、空虚感には様々なレベルがあり、天体の動きや大地からのメッセージと呼応した結果、生み出されたものも少なくありません。



特に巫女的特質を持たれている方は、天体の動き(特に月)や大地からの哀しみの波動に無意識レベルで共鳴している場合が多く、どうしようもない深い哀しみにとらわれることがあります。

 

その他、時間の制約を超えて過去や未来からの哀しみにつながる場合もあります。

 

 

哀しみが不安や怖れを引き出し、その不安や怖れを客観視すればするほど空虚感が引き出されるというパターンも存在します。これは特に女性性にまつわる”水”エレメントの波動的特性でもあります。




上記のような深いパターンでの空虚感を身近な家族や友人による理解で埋め合わせようとしますと、事態がより一層、悪化してしまいます。


つまり、たとえ家族や仲の良い友人であっても巫女的特質を共有していなければその深い哀しみを理解することができないのです。

 

 

さらに言いますと巫女的特質を持っている方が、自分の感情の揺れを自分個人のものだけだと認識している場合、激しい自己否定に陥るパターンが多くあります。

 

 

 

この状況に対するひとつの解は、哀しみの出元を切り分け、その意味を正確に捉えることです。



さらにもうひとつの解は、天体や大地の動きに呼応して感情体に働きかけるタイミングが限りなく同じ人を見つけ、その感情を共有することです。


この“タイミングが同じ”という部分が星座に関わっており、その知識を深め、自分自身をさらに知っていくというのもこのセッションの目的でございます。


ここでいう知識とは、”天と大地との呼応が自分自身の感情体にどのように働きかけているか”の知識であり、星座一般の知識はそれほど必要とはしません。星の本質と自分自身の魂の本質の関わりがとても大切であり、{動き}を捉えることが最も大切になります。

 

 

感情体のセッションではございますが、結果的にシャーマニズムが深まっていくセッションとなります。受信(巫女)体質と情緒不安定というのは、特に【月の運行】というキーワードでつながっています。 

 

 

つまり、才能があればあるほど感情体が天体の動きに左右されているということです。

 

 

あるひとつの絵を見ても感情体が激しく動く方とそうでない方がいます。感受性が強いのは明らかに前者であり、変わっていることを自己否定するよりも感受性を伸ばす自己肯定が必要です。



現在募集を休止しておりますHMT遠隔マスターグレードですが、この蟹座の変容宮セッションをお受け頂いた方に限りご入校お受け付け致します。


遠隔マスターグレード、月二回のワークでかなりハイレベルなものになりつつあり、基本的事項をマスターした上でないと理解が困難でありますので、蟹座の変容宮セッションは理解の補助には最適であります。


希望や夢の喪失は様々なレベルにおけるエネルギーを奪いますので、ぜひこの蟹座の変容宮セッションで未来の方向性を獲得して頂ければと思います。

 

 

 

ケースによっては荒療治となる場合がありますが、不安や怖れをアファーメーションして頂く選択肢もご用意しています。

 

アファーメーションは、このサイトページに不安・怖れ・空虚感持っている宣言を書いて頂くという形です。

 

 

 

料金

 

 

¥15.000-  メールセッション+2週間のアファーメーション期間サポート

 

 

 

 

 

 

by kohya-hibiki

 

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コメント: 23
  • #1

    mukai (月曜日, 04 6月 2012 16:15)

    このたび、セッションをうけさせていただきました。mukaiと申します。2週間のアファメーション期間として、こちらに書かせて頂きたいと思います。どうぞよろしくおねがいします。

  • #2

    mukai (火曜日, 05 6月 2012 21:47)

    よろしくおねがいします。夫婦関係のことで悩んでいます・・

    趣味と家事との両立。

    専業主婦をしております。家事の合間に、趣味を楽しんでいるのですが、私にとってその趣味は趣味以上のもので、生きがいのように感じています。生きがいというより「天職」のような感覚です。ひとことでいうと、地域社会と密接につながっている世界です。自分のためのリフレッシュから、自分探し、自分表現、開放、社会貢献できるレベルまで繰り広がっていく世界です。

    そんな世界に夢中になっています。家に居たばかりの私が、世曲的に外に出て行くようになりました。ただ、逆の言い方をすると、夫との時間が以前よりは(趣味に出会う前と比較すると)減ってしまいました。

    そのことを夫は面白くない目でみてきます。夫は、私といっしょに居ることが大好きのようで(ありがたいのですが)、趣味の活動が夫の休みと重なることがよくあります。夫にとっては面白くないみたいです。趣味をはじめてから、急に「家事のこと」をあれこれ言ってくる様になりました。その変化に戸惑っています。そして、顔色うかがって一生懸命に家事をしたつもりでも、夫はなにかと「あら捜し?」のようにみてきます。私はどちらかといえば、体が弱くてすぐに寝込んでしまうのですが、「趣味のときだけ、元気だね。家事はおろそかになるのに・・」といやみをいうようになってきました。私としては、趣味を通して元気になって以前よりイキイキと活力を取り戻している自分を受け入れて欲しいと感じたりします。趣味があるいみ、私にとってはリハビリのようでもあります。趣味を通じて元気回復していける感じでもあるのに、応援してくれない受け入れてくれない、嫌味も言われる、・・という繰り返しに、そろそろ心が参っています。
    (以前は病気だったのです、でも趣味に出会ったお陰で私らしさもとりもどしつつある・・その過程をいっしょに応援して欲しい)

    そして、実は趣味のほうでは先輩方に、夫の目を気にするあまり、「私に関しての活動を減らしてください」と、お願いしないといけない場面もあり、板ばさみのような感情も出ています。実際に、私の家庭の事情に合わせてくれていることが色々あります。

    夫、趣味での先輩両方に気を使って、その中間点をいつも探っているような感覚です。先輩方に夫の事情を話したら、逆に「信じられない夫ね、あなたに依存しすぎ」とか言われて、なんか心の奥ではそういわれたことが納得いかなかったりして、正直言って参っています。先輩方は、どちらかというと、夫の理解があり自由に羽ばたかせてくれるタイプの人たちなので、逆に私の家庭の事情があまい理解しずらいようです。でも、協力的ではあります。
    (大変な夫を持ったね・・という意識で・・という意味で・・)

    私も弱いところがあり、「そうなんですよーーうちの夫は」と口を合わせてしまったり、実は自己嫌悪に陥ったりもしています。

    長くなりました。また何か感じたら書きこみますので、読んでいただいてありがとうございました。

  • #3

    mukai (水曜日, 06 6月 2012 17:01)

    「気分のむらが激しい自分」

    次のような精神状態にとらわれてしまいます。今日は、まさにそんな一日。家事もなにもかも手につきません。

    ソワソワ
    イライラ
    おちつきのなさ
    どうしていいかわからない
    からっぽなかんじ
    からだがきつい
    心もアンバランス
    そとに出るげんきもない
    きぶんてんかん
    今日は、ムズカシイ

    なにもせず、家事もせず
    抜け殻のようにじっとしている。
    唯一、書き込んだり、インターネット
    これは大丈夫です。

    でも、まるで心の満たされなさを、どうにかしたいから
    心が抜け殻になった気分

    自分ひとりだけが、切り離された気持ちになります。大げさだけど自分の存在価値が分からなくなってしまいそうになります。
    私は私なりに自分の日常を楽しんだらいいのに、今日は体調や精神的コンディションがすぐれなくて、ただ時間が停止してしまっているかのような感覚に陥ります。

    今日は、何もやる気になりません。いらいら感もあります。

    今日みたいな、体調があまりすぐれなくて気力がないときは、ただ空しいという感情にとらわれてしまいます。
    ため息も出てきます・・
    情緒不安・・・

    健康でないとはこういうことなんだと思う
    入り口も出口も見つからない心境です
    いつものことだし、過ぎ去る感情だと分かっていても、
    真っ只中に居るときは、とても苦しいです。

  • #4

    mukai (水曜日, 06 6月 2012 18:23)

    夫との関係「趣味と家事との両立」

    趣味を理解してもらえない原因が、さきほどの自分の書き込みの中でヒントが見つかったような気がします。

    趣味は、もともと好きだったこともあるけど、先ほど書いたような
    「抜け殻のような自分」を満たすために必要不可欠なものだと、心の充電のためでもあること、健康に進んでいくためには大切だと改めて気がつくことができました。

    その部分が、忘れかけていましたが「一番重要」だと感じました。私にとって趣味とは「抜け殻のような自分」にエネルギーを与え続けてくれる命の源のようなもの。それを第一に忘れないようにしたいです。

    そのへんを、夫は理解してくれていないと改めて感じました。ただ、感じるのは「おそらく、夫は分かってくれないとおもいます」
    趣味に夢中で、家事がおろそかになっているという部分に焦点を合わせすぎているので・・

    思い出しました。趣味は私にとって、命の源のようなもの、と以前話をしたことがあります。やめたりしたら、一気に病気に逆戻りになるとも話をしました。

    ただ、夫は、「趣味がなくても、元気を保てるようにならないとダメだ」という言い方をしました。そういう言い方をされて、胸が締め付けられるよな想いがしました。

  • #5

    mukai (水曜日, 06 6月 2012 19:08)

    「趣味と家事との両立」
    思いだした事。

    「寝てばっかりで趣味の時だけ元気ね」って言われるんですよ、と趣味仲間に話をしたら、1人だけはっきりとしたことを言ってくれた人がいました。

    「じゃあ、家事をばっちりやったら?これだけしっかりやって、後は胸張って趣味に行って来ます!って言える様になったら?」と言ってくれた人が居ました。

    その人は、私の健康上のことを唯一知ってくれている人でした。
    そのときは、言われて痛かったのですが、今になって思えばいいことをいってくれたのだなと感じます。

    趣味に行きたいから、家事も頑張るという視点で臨めば、少しずつだけど体力もついてくるし、家事上手になっていけるかもしれない。

    実は、実際に少しずつですが、家事に目を向け始めている自分が居ます。家事をしっかりできるようになる自分というのは、よく考えたら素敵なイメージです。
    (程遠いけれど)

  • #6

    mukai (木曜日, 07 6月 2012 23:09)

    過去の自分に対して、辛い苦しいと沢山書き込んできました。安心して前向きになったと思いきや・・・

    また、新たな感情がでてきた。大丈夫だと思うけど・・

    「私が経験してきた事は、苦しいレベルに入らない」
    「もっと辛い経験をしている人も居る」


    自分の経験してきた事が、どの程度辛いといえるのか分かっていない。完全に麻痺している。辛いって何?

    辛い経験をしてつらいはずなのに(辛い経験のうちに入るのかな?)、「辛い」と認められない自分が居ます。

    辛い経験のうちに入らなければ、
    「私が悪い」
    「辛いこと、当然辛い事と思うのは間違っている」

    ぜんぜん分からない。私の経験は、本当に辛いレベルなのかな。

    「辛い経験をしたのに、よく耐えて頑張ったね」
    ・・・でも、それを否定する、全然分からない自分が沢山居る。

    「たいしたつらい経験でもないのに、大げさに捉えすぎ。あなたが悪いだけ」

    この感情・・
    かなり厄介。
    どうしたらいいのか分からない。私はぜんぜん分からない。
    このわけわからない、混乱した感情をまるごと感じきったらいいのかな。なにかみえてきたらいいんだけど。

    今までみえてこなかった感情です・・

    「たいした経験もしていないのに・・」という感情が苦しいです。

  • #7

    mukai (金曜日, 08 6月 2012 08:14)

    「社会のシステムについていけない自分」

    その「辛い」感情に関しても、何もかもがぼやけてしまっている。これを「辛い経験だ」と、この経験でもって「乗り越えてきた」といえるのかな、とわからなくなります。

    母から、「辛いにレベルはない、辛さは上下もなく比べるもんじゃない」と言われてきました。「世の中にはたくさん辛い人がいるのよ」と言われたりもしますが、むしろそちらのほうに心が共鳴してしまいます。自分は辛い経験をしたに値しない、だから自分が悪いんだと感じてしまいます。母の「辛さは比べるものではない」その言葉が心に素直に入っていかないです。入っていかないことがもどかしいです。

    いつも前向きに、自分を励まし続けている私。過去をさかのぼること、大学時代より。辛かった大学時代そして就職、結婚してからのこと。20代は、自分の感情を抑えないとやっていけない時期でした。自分に嘘をついていないと、社会のシステムについていけなかったからです。本当に辛い経験をしたのだろうか、という声がきこえてきます。たんに弱かっただけ、自分が悪かっただけ、これくらいのことで辛い経験だなんて。実は、20代のころの自分を人に話をするのも恥ずかしいと思うところがあります。未熟な自分にすぎなかっただけ。自分を恥じています。

    何かの経験のせいにするから苦しくなってしまうかもしれません。自分の問題。ただ自分が他の人とくらべて色々な面で未熟だったから。駄目だったからという思いが強いです。

    このあたりを少し深くほりさげてみたいです。

  • #8

    mukai (月曜日, 11 6月 2012 16:58)

    夫との関係、趣味家事との両立

    セッションを申し込んだときから、「自分の感情に蓋をしない」こと決めました。自分の感じたマイナス感情をそのまま見つめる。そのまま表現してみる。感情に蓋をしたくなかった。どんな表現でも、感じるままに表現したほうがいいと思った。そうしないと、この先、絶対に後悔すると思いました。雑草のような気持ちでもそのまんまを表現しようと思いました。ただ、それはセッション期間限定のみと決めていました。

    夫に対して、正直に自分を表現しました。その結果、結婚して10年目にしてはじめて4日連続口論してしまいました。たいていは、私の感情が爆発して夫に不満を正直に言うという形でしたが・・

    その結果、一時的には苦しみましたが、今では好転している状況です。私は、頭の片隅に家事をしっかりやろうという気持ちを意識していて、そのことが夫にも気持ちが伝わったようです。家事をしっかりやろうという気持ちから、私も平凡なささいなことでも丁寧にやらなければと感じ始めています。そして、夫の気持ちの中にも色々ありますが、パートナーの気持ちを傷つけたくない」という心がすごいということです。私も、そういう夫の気持ちに共鳴しているようです。これからも、色々あるとは思いますが(夫婦ですから)、なんとかやっていけると信じています。

  • #9

    mukai (火曜日, 12 6月 2012 16:13)

    「社会のシステムについていけない~大学時代」

    大学にはいると「上下関係の一切ない世界が待っている」と本気で思っていました。上下関係は「子供じみた感覚。成人した人はそんなことはないだろう、と100%信じ込んでいました)

    まずはその自分の思い描いていたビジョンと実際のギャップ戸惑いました。大学では、上下関係がかなり厳しい場所でした。自分の行動感情パターンが、周りと全く違っている。さらに、能力的なスピードについていけない。そのため、周りから浮いている人だとみられて、「仕事が出来ない人」と罵られました。「懸命にやっている」つもりでも、周りからすると「怠けている」と思われていました。注意されても、どこをどう治していったらいいのか、どうやって上手くできるのかが本当に分かりませんでした。

    先輩には、「そんなことでは社会でいきていけないタイプだね」と言われてしまいました。さらに、同級生からも「出来ない人レッテル」を張られてしまいました。私は、皆はちゃんと出来ていることなのに、なんで私だけ出来ないんだろうという苦しみにとらわれていました。とても苦しい毎日でした。さらに、勉強する暇もないくらいに、忙しい部活でもありました。帰宅が夜の11時になってました。ただ、いつも自分に言い聞かせていました。「これを乗り越えたら、新しい自分に生まれ変われる」と・・

    ただ、この状態を続け、3年目に入る直前ごろには私の中で限界がやって来ていました。中学校のときにも同じ部活に入っていたのですが、その時は技術的には、トップクラスでした。しかし、大学でもその点では一変しました。ストレスのあまり出来なくなっていました。その苦しみも抱えていました。あれだけ皆に凄いねといわれてきたことが、一気に崩れていきました。

    厳しい部活で大勢がやめていく人も多かったのですが、3年生となるうえで、おのずからリーダーが私に回ってくる自体が迫っていました。そこからは「逃げないと自分がとんでもないことになる」と初めて感じました。挫折感も。「逃げない事」をモットーにしてきた私だったので情けなく思えてきました。ただ、感傷に浸っている余裕などなく、理由を探すことが必要でした。それは、私の夢でもあったのですが、半ば部活動が忙しくてどうでもよくなってたことでもありました。その夢が急に浮上してきました。

    「留学する」という夢を実現するために、部活をやめようと決めました。部活動は、やめたいと願い出る人を、長時間何日もかけて皆で説得していくという習慣があったので、わたしのばあいも、かなり時間がかかりました。でも、決心をまげることなく、最後の最後に、全員集合した皆の前で「退部します」宣言をしました。そのときの、何人かのにやけるような侮蔑したような笑いが私の心を傷つけました。とても苦しい時期で、今でも大学時代の同級生に会うのは、トラウマでもあり避けたいと思っています。

    (社会人へと続く)

  • #10

    mukai (火曜日, 12 6月 2012 16:38)

    「留学時代」

    社会に入る前の、「留学時代」のことを少し。一年間留学していましたが、ここでも自分の周りの人との感覚的なずれを痛感していました。楽しいことも沢山、辛い事も同時に沢山。一番苦しかったのは、思ったように自分のリスニング力、スピーキング力が伸びていかなかったことです。というより、コミュニケーションの問題だったと感じています。大学時代にも感じていたことですが、人に対する不安や恐怖心が強すぎるということ。人と接するときに、頭が真っ白になって、何が起こっているのか理解できなくなること。結果、周りの空気が読めなくなること。その場、一人だけ浮いてしまうこと。その場から逃げ出したくなる感じでした。そういった中でも、自分を奮い立たせて、真逆な持ち前の精神「大胆さ」で乗り越えてきました。

    ここでも、私の雰囲気が弱弱しく感じられたのか、色々な人に馬鹿にされたような態度で接してこられたり、平気で心傷つくころを言われたりしました。特に、語学学校だったのですが、高校時代のときのように「優等生」には決してなれなくて、逆に「劣等生」の気持ちも味わうことにもなりました。精神面でも、私の弱い性格に付け入るような意地悪をされたりしました。

    唯一の救いは、学校の休みに思い切り学習のことを忘れて、自由に行きたいところへ行けることでした。思いっきり、自分らしく異国の地を味会うことが出来ました。不思議と、ストレスが外れると、いつも以上に英語が流暢にでてくるような気がしました。人に対しても、フレンドリーな私に変化していました。

    ただ、学校は苦しい時期だけではありません。夏休み前後、ラテン系の人たちが大勢はいってきたのですが、気質的に私といい意味でシンクロしはじめました。私の内気さを、ぐいぐいひっぱってくれて、快く仲間に入れてくれようとしてくれました。その数ヶ月間は貴重なひと時でした。写真をみても、一番イキイキとしています。授業もプライベートも楽しく過ごすことができました。 

  • #11

    mukai (火曜日, 12 6月 2012 17:10)

    「帰国後のこと、大学4年の頃」

    留学を終えた私は、大学4年生でした。(休学していました)
    私のまわりには、知り合いなどいませんでした。しかも、ほとんどの履修を終えていた状態だったので、大学へ向かうのも週に2回程度でした。その間、私は個別指導塾でアルバイトをしたりしました。しかし、アルバイトにかんしては、英語だけでなくて、全科目を教えないといけませんでした。どこを教えるのかは、その日になってみないと分からないシステムでした。一度に3人の生徒を教えました。英語だったらいいのですが、他の科目は生徒には悪いのですが、しっかりと教えることができていませんでした。さらに、やはりネックは、人間関係です。人に対する不安や恐怖心があってのことだったので、同僚とうまくやっていくことも神経を使いました。アルバイトでしたので、社員の人から色々と注意をうけてしまい、苦痛の日々を過ごしていました。そのころから、私はなにをやっても、社会で生きていくことはできないんだと絶望のような気持ちに襲われ始めていました。そして、ある日のこと。これは言葉では言い表せないのですが、ある瞬間から「感覚的におかしくなっていました」。急に、人ごみを意識するようになって、人ごみが怖くなっていきました。気持ちが変になりそうでした。私が私でない感覚にも陥りました。自分がバラバラになっていくことを、初めて感覚で認識した最初の段階でした。とてもつらかったです。その認識したときのことを、場所までをはっきりと覚えています。その地点を境にして、その前後ではまったく見えてくる世界観が違っていました。今でも、その感覚をひきずっていますが、できればそのまえの「正常」な感覚に戻りたいと思うくらいです。

    そういった異常な感覚の変化のはじまりを抱えつつ、私の就職活動が始まりました。英語の先生を目指してました。まだまだ多くの不安を抱えながらも、大きな夢を抱いて心に夢と期待を持っていました。自分をまだまだ「きっと乗り越えて変わっていける」と信じて疑わないたくましい自分もいました。

  • #12

    mukai (水曜日, 13 6月 2012 08:47)

    「社会のシステムについていけない、社会人として」

    私の父親が英語の教員をやっていた事。高校時代に、素敵な英語の先生に巡り会えた事で、抱いていた夢。念願の英語の先生(私立講師)になったのは良かったのですが、現実は厳しい世界が待っていました。

    生徒が授業を静かに聞いてくれない。いつもヒステリックに怒ってばかりいました。自分に無理をしていました。先生としてやっていくには「生徒になめられないように」な自分に変えていかなければと必死だった。しかし、どんなに演じても、それは無理な事。すぐさま生徒は私の弱さを見破り、ますますいうことをきかなくなっていった。私が、童顔で背も低くて、外見からしてもなめられるせいだと感じて、尚更「迫力のある私」でなれればと思っていた。どうやったら、おとなしく授業を聞いてくれるのか悩み苦しんだ。最終的には、授業崩壊まで悪化した。

    一生懸命やろうと必死だった。授業だけでなく、事務的な仕事が出来なかった。朝の連絡事項では、会議など先生同士で話し合われている事が、スムーズに理解できないところがあった。電話の対応でも、緊張しているのか、きちんと意思の疎通が私には難しかった。数字が苦手で、その点でも苦労した。暗算ができないことは、仕事のあらゆる面で支障が出ていたような気がします。電話恐怖症だった。どう対応していいのか分からなかった。頭がパニックに陥り、真っ白になります。事務的作業でも、理解が遅くて、周りの足をいつも引っ張っていました。話をする事が苦手でした。先輩の先生から怒られることもあった。授業も上手くいかない、事務的な事もできない、講師として雇われていた私は2年目にして契約の更新は来年度からはありません、と言われました。

    どんなに辛くても、少しずつ出来るように乗り越えていきたいと思っていました。無知な私は、私立講師は半永久的に勤められると100%信じてました。それだけに、いきなりの宣告を受けた気分でした。どれだけのショックを受けたかは、よく覚えていません。その日、実家に電話をかけて「辞めないといけなくなった」と伝えました。その後、地元に戻り、公立で非常勤として働きはじめました。

  • #13

    mukai (水曜日, 13 6月 2012 09:02)

    「社会人として、非常勤、その他アルバイトを通じて」

    私立を辞めさせられ、私は地元に戻ってきた。今度は、非常勤として公立高校で教えることになった。私立での苦い経験から、無闇にヒステリックに怒ることはなくなった。学校によっても違いがあるのか、生徒は大人しく授業を聞く人ばかりだった。あまりの違いにびっくりした。クラスによっては、お通夜のように静かなクラスもあった。

    その代わり、勉強に対する意識が高かった。真剣に学ぼうとしている気迫を感じていた。それは授業を静かに聞いてくれるという点では、ありがたい事だったのですが、私の方が完全に気迫負けしてしまう感じでした。

    そして、事務的な事は前回と同じように相変わらず出来ないでいた。数字的な処理を必要とする仕事である時間割の調整作業が、要領得なくて苦しかった。

    私立の時ほどの苦しみはなかったけど、生徒達の真剣さに負けてしまい「私はこの仕事は不向きだ」とこの時に感じた。

    2回目のこの学校では、常勤、非常勤と…何回かお世話になったけれど、やればやるほど、あれだけ強い気持ちで教員になりたいという思いは薄れていった。

    契約がきれると、しばらく無職だったり、アルバイトをしたりもした。アルバイトは、コンビニも経験したけど、これも上手く如何なかった。数字的な問題は避けられず、機械に頼らずやらないといけない場面があり、解らなくなることがあった。なにかあった時に、臨機応変に対応する事が出来なかった。人とのコミュニケーションが難しかった。お菓子の工場でも働いたのですが、作業の工程が解らなくて混乱したり迷惑をかけてしまいました。

    そんな事を繰り返しているうちに、私は「社会で生きていけないんだ」と危機感を感じた。実家でアルバイト以外の事は何もしていない自分に気後れもしていた。心にまたある異変が起こった。「人と話をするとき、顔がひきつるようになった」心理的には表情恐怖と呼ばれるものだと思っていた。こんな症状ははじめてだった。本当に心許せる親以外は、顔がひきつるのです。それを相手の人がみると、不快な思いをさせてしまいました。今までだったら、「ニコニコ笑顔」で自分の心を隠していました。けれど、もうそれが出来ない。表情を作れない(仮面をかぶれない)恐怖心で悪循環でした。

    ある日、私の目の前に「あかちゃん」がいました。ふと、「この顔を赤ちゃんには見せたくない」と感じました。その日をきっかけにして、私の赤ちゃんやこどもが怖いという事に意識が向かい始めました。同時進行的に、私はこどもに英会話を教え始めていました。

    この期間、趣味もやっていました。私立で働いていたことにはじめたものです。3年目に入っていたのですが、その趣味も急に人とのコミュニケーションが辛くなり、今まで仲良くやっていた人とも上手く行かなくなっていました。顔がひきつって誤解をされてしまいました。

  • #14

    mukai (水曜日, 13 6月 2012 09:33)

    「社会のシステムについていけない、アルバイトから今に至るまで」

    顔がひきつることを気にしながら、こども英会話は苦痛そのものだった。確実に、こどもに私の恐怖心が伝わってしまった。親御さんには「表情の硬い先生」だと言われた。こどもの感情と共鳴しながら授業をすることができていなかった。しだいに「こどものペース」で自分が振り回される場面でてきた。どんどん苦痛が増していった。このときから、父の安定剤を借りて飲むようになっていた。(軽い効き目でよく分からなかったけれど)

    インターネットで、「私の症状は一帯何?」と調べ始めていた。そして、「神経症」という言葉が目に飛びこんできた。私の症状にほとんど全てあてはまっていた。藁をもすがる気持ちで、心療内科を訪れた。しかし、ここでは私の苦痛は伝わらなくて(病院では「理解者がいると感じて」元気になるので)、薬も必要ない。カウンセリングで十分と言われてしまいました。理解されない苦しみと仕事も出来ない苦しみで、どうかなりそうでした。

    ふと、そんな時…
    結婚すれば、この不安から解放されるかもと感じ始めていた。

    (いや、よく分からない。思い出せない。この辺りの記憶があいまいです)

    どういう経緯があったのかは漠然としていますが、インターネットで、結婚相手を探し始めました。二回目に出会った人が、今の夫です。夫は、今わたしが話したこと全て分かっています。夫と結婚してから、地元を離れて、夫の勤め先の近くに引っ越しました。

    結婚してからすぐに、婦人系に病が見つかりました。治療の苦しみとあわせて、相変わらず、「人に対する不安恐怖心」にも襲われていました。新しい土地でも趣味を続けていました。ただし、コミュニケーションが上手く取れない苦しみを再び味わうことになりました。頭が真っ白になり、表情も引きつる恐怖をなんとかしたいと思っていました。別の心療内科に思い切って行ってみました。

    今度は、薬を処方してもらいました。緊張といっても、「悪性の緊張だね」と分かってくださいました。薬を飲むことで、私の表情恐怖が、一気に和らぎはじめました。 行動範囲も世界も広がっていきました。同時にスピリチュアルな世界のことも知ることになりました。レイキというものを知ってアチューンメントを受けてみようと決めました。それは、ちょうど心療内科で大分落ち着いてきて、「薬をやめたい」と思っていた時期と重なる時期でもありました。薬を病院を手放したら、あとは自分にレイキを流して自己メンテナンスをしていこうと考えていました。

    その後も色々と大変なことがありました。もっともっとつらいことが。ただ、これまでのつらい経験かあるからこそ、今の私か活かされてくるのだと信じています。過去の辛い経験を乗り越えてきた結果だと信じたいと思っています。まだまだ、「辛い経験なんて私にはあてはまらない」「大げさに過去を捉えずぎ」という思いにとらわれてはいますが、その思いも全部ひっくるめて、抱えて生きていくしかないのだと感じています。

    とりあえず、「社会のシステムについていけない」話は終わりです。最後まで読んで頂きありがとうございました。
    (また何か感じたことがあれば、書かせていただきたいと思います)

  • #15

    mukai (水曜日, 13 6月 2012 12:10)

    「学校では楽しい経験も同時に沢山あった」

    最初の私立1年目では楽しいことなんてほとんどなくて、毎日が苦痛でしたが、2年目の時は教えるクラスも代わり、実は常勤から非常勤扱いになったことで、事務的な作業はなくなりました。

    2年目の非常勤では、心にずいぶんとゆとりができて、先生とのコミュニケーションがとても楽しい時期でもありました。教えることに関しても、いわゆる「不良」だらけのクラスで大変でしたが、先生同士で悩み相談しあったりいい関係を保っていました。

    自分の教える姿勢にも、2年目からは変化が現れていました。
    「むやみやたらと怒らないこと」これは大切だと思いました。放任はしなかったけれど、やさしくやんわりと授業中私語でうるさい子を注意し続けました。私の受け持つクラスはどうしてもうるさくなりがちで、他の先生から注意を受けることもたくさんありましたけど。成績もあまりよくならいので色々言われました。

    授業中には、私の笑顔が増えてきました。ある生徒から「グレイトティーチャー」と褒められたことです。この言葉は今でも私の心の宝物です。その子の視点からだけだろうけど、おせいじでもうれしいのです。そして、1年目に教えていたクラスの子がやってきて、
    「先生の授業のほうが楽しかった」と話をしてくれたことです。あれだけ授業崩壊していたのに・・笑

    ベテランの先生からは「凄いテスト問題をつくるねーーバランスがいい」と言われたことです。そうとう辛口分析型の先生が(笑)、私には直接言わずに他の先生方に褒めまわっていたそうです。私も実はこういうの作るのは得意だと感じていた部分でした。こういった作業は得意なのだと感じました。

    公立高校では1年生は大丈夫でした。明るくてにぎやか。3つのクラスを受け持っていました。クラスでは寝る子も多数、私語するこも私の場合は多くて、他の先生方の評価はよくありませんでしたけど。生徒は、私に対して好意を持ってくれていたように感じていました。

    寝ている子がいたら、妥協せずに「揺さぶってでも(笑)」おこしていました。でも、すぐに寝てしまうけど。さらに、どのクラスにも1人、2人と必ず辛そうにしている子も居ました。いつも下を向いて自分ひとりの世界に入り込んでいるような子もいました。私は、その子に対しても、自分で言うのもなんですが、極力訳隔てない態度で接するように心がけました。私が学校をやめるときは、3つのクラス全員がたくさんのプレゼントとレターをくれたのですが、その子の場合は一言「ラブレターです」とだけ書かれていました。なんか思い出すだけで涙がでそうになります。他の人たちもレターには、「分かりやすくて丁寧な授業をありがとうございました」とか「授業中うるさくてごねんね」とか「いつも寝ているのを起こしてくれてありがとう」とか。

    事務的なことは、できることもありました。その1つが、英語化の会議での出来事です。アイルランド出身のALTの先生がいました。その先生がいたので、会議は「英語」でした。私は、留学経験を活かして「英語書記」をまかされたのです。自分でもびっくりしたけど、ちゃんと聞き取っては書いていくという作業に集中できたことです。ただ、長時間だったので、最後は力尽きて結論が「聞き取れれなくて」英語科の主任に助けてもらいました。でも、その点は評価されたようでうれしかったです。

    学校の教員を志していた時代のこと。悪いことも、良い事も大切に心の中にしまっておきたいです。

  • #16

    mukai (水曜日, 13 6月 2012 12:49)

    教員を志していた頃の「嬉しい出来事」のみに焦点を当てて書き終えたあと、涙がとまらなくなった。生徒たちの笑顔がたくさん出てくるのです。「先生、そんなに自分を責めないで、楽しかったよ、私たち」と言われているような気がしました。優秀な先生じゃなくてもいいじゃない、私たちにとってはそんなこと、どうでもよくって、クラスがうるさかろうが、私たちにとってはそんなことどうでもよかったの」

    「先生元気出して」「先生自分を責めないで」
    生徒たちの笑顔がどんどん迫ってくる。なぐさめられているような気がする。クラス最後にとった、皆でとった集合写真を思い出します。私の趣味に無理やりつき合ってくれた生徒たちもいました。楽しいね、先生。ってくれた。「先生、タイタニックの授業楽しかったよ」っていってくれた。

    先生方も、特に私立2年目の先生とは皆仲が良くて、ベテランの先生も面倒見が良くて、本当に「頑張れよーー」っていつも励ましてくれていた。そんな先生方の笑顔と生徒たちの笑顔が、今せまっていきて、「もう自分を責めないで」「私たちはそれで満足だったんだから」と言われているような気がしました。

    涙が止まりません。

  • #17

    mukai (木曜日, 14 6月 2012 07:24)

    何故「教師」になりたいなんて思ったのだろう。今だったら絶対に選ばない職業です。向き不向きの適正というものを全く無視していたと思います。全く自分を客観視せずに「憧れ」の気持ちだけだった。

    今、専業主婦をやって家事の合間に趣味を楽しんでいますが、過去の自分をどうしても肯定できません。たとえば、趣味仲間には絶対に何があっても私が「英語講師」をやっていたことなんて、知られたくないです。今の私の雰囲気からは、その職業は想像つかないし、イメージのギャップがありすぎるからです。さらに、英語については完全に忘れてしまっているから、あまり言いたくないです。そんな否定的な自分に嫌気がさすけど、周りにはしられたくないという過去。そんな私でいいのかな。

    書いていて気がついたことだけど、「嫌な思い出」というのは「良い思い出」を見えなくしてしまうってこと。私の英語講師時代にも、良い思いではいっぱいあったのに。実際、笑った生徒たちの顔が迫ってきて感動して泣いてしまったくらい。でも、嫌な思い出がそんな自分もどんどん否定していく。私は、なんのために教員になりたいと思ったんだろう。完全に道を誤まってしまったのかな。でも、それでもいいのかな。とはいえ、人に話せないということほどつらいものはないです。

  • #18

    mukai (木曜日, 14 6月 2012 07:54)

    心の傷は癒えないです。人に言えないくらいに癒えないです。本当は言ってしまえる自分になれたらいいのかな。趣味仲間に知ってもらいたいのかな。でも、知ってもらいたいけど、そんな勇気は持てない。知られたらとんでもないことになりそうだから。

    趣味を教えている先生は、留学経験も豊富で英語も流暢なリーダー的存在。先生には知られたくないという感情。趣味の中では英語を使う場面も沢山あるので「英語やってたんだったら手伝ってよ」と言われそう。そんな時、習ってきた割には全然できていない自分を知られる事が怖い。馬鹿にされそうで怖い。雰囲気的にも人の後ろを一生懸命についていくタイプだから「え?英語教えてたの?そんな感じで大丈夫だったの?全く信じられないわよ」と言われるのが怖い。先生の前では完全に「童心」にかえっているから皆の前でもそうだから、教えていたイメージとは程遠い。変なプライド捨ててしまいたいけど、馬鹿にされるのが怖くて捨てられない自分。恥ずかしいと思う。恥ずかしさにとらわれています。

    ふとまた感じました。「童心」ということば。教えるという職業柄、私は自分の「童心」を否定していたところがあります。私はすごく本来色々な面で「こどもっぽい」のです。「童顔」だったし背も低かったから、性格的にも「こどもっぽさ」がありました。自分を「大人のイメージ」にしたくて必死な時期でもありました。私は、女性でも全生徒から怖がられている先生に憧れていました。なぜ、あんなふうになれないんだろうと本気で思っては自分と比較しては落ち込んでいました。授業も事務作業も人並みにできていたら、そんな感情も生まれてこなかったかもしれないけれど。

    授業も完全に自分を消して「演じて」いたから、だんだん別の自分とすりかわってしまったようなきがします。それで上手くいってたら報われるのだろうけど、そうではありませんでした。その当時の写真を見ると、私はものすごく表情が嫌な顔をしています。ありのままの私を表にだせませんでした。ありのままを消して、別の理想の自分も演じられない苦しみの連続でした。挫折の連続、でも「これを乗り越えて新しい自分に生まれ変わりたい」と思っていたのだと感じます。「乗り越えて新しい自分」という感情は大学時代からのものです。そうやっていくうちに、私は自分がだんだんなくなっていきました。今は分からなくなった自分を一生懸命に探している感じです。

  • #19

    mukai (木曜日, 14 6月 2012 08:19)

    「本当の私を返してよ」と言いたいです。社会の責任にしたいのなら、社会の責任にしてもいいよ、と許可がおりるなら、
    第一声は「本当の私をかえして」です。悔しいです。私はいつでも精一杯やってきました。手を抜こう、怠けよう、人を傷つけようなんて思わなかった。努力が大切と思ってたから、努力もしてきました。

    人が人らしくいきられない世の中と思います。私の20代、教員を目指していた時期、私は何度か県の採用試験を受けました。面接があったのですが、「親御さんから校則が厳しすぎるという訴えがありました。あなたはどう対応しますか?」ときかれました。私は、緊張しながらも馬鹿正直に「はい、これは校則だから仕方がないのです。私も心の中では親御さんの気持ちと同感です。でも、校則で決まっているのであきらめるしかないのです。私もあきらめています」みたいな答え方をしました。そのときの面接官の「あきれたような、おこったような」顔を忘れません。私は、別に対抗するつもりもなく緊張の中一生懸命でした。自分なりのこたえでした。

    でも、これは面接というバーチャルな世界。現実的に現場で教えているとその連続でした。私は時に理不尽な「頭髪検査」「服装検査」「生徒の訴え」に自分の本音を隠して、自分の心にうそをついて対応していました。職員会議では、生徒がどんどん校則の合間から自分を訴えようとするので、それを抑えるための校則が考えられていきました。

    そして矛盾するようですが、学校で行われていることになんの疑問も感じていない面もありました。こどものように純粋で疑うことを知らなかったのかもしれません。ただ上から言われることは「あたりまえのこと」だと従順に従っていました。

    このような時期を思い出していく過程で冷静に書いているつもりでも「分からなくなった自分」と共鳴していく感じがしています。j分が分かりません。社会の責任にしていいのなら、私を返してといいたいです。

  • #20

    mukai (木曜日, 14 6月 2012 12:51)

    過去にどんなことがあったか思い出して追体験しています。ただ、昔の私と現在の私は、違っていて大きく変化をしています。再び大学時代にさかのぼって同じ状況におかれたら、確実に仕事をしている自分がイメージできます。逆に、イメージできなかったら、今この瞬間趣味も楽しむことが出来ていないと思います。

    趣味でも皆で協力し合って1つのことを作り上げていく場面が多くあります。楽しくやることができています。昔の私だったら確実に戸惑っていた事だと思います。ただ、今の私であれば、大学の部活動に入りたいとは思わないでしょう。もっと、自由意思でのびのびと行動できる場所を選んだと思います。

    教員についてはどうか、その他アルバイトについてはどうかと思いをめぐらすと「拒絶反応」しめしてしまいます。どれほど今の私だったら出来るのだろう。冷静に考えてみても分かりません。分からない事は、考えないようにするというのもひとつの選択肢なのかもしれません。コントロールできないことは、考えないと何かで読んだのですが、これは私にとってはすごい励みになるキーワードです。時の流れに身を置くということに繋がるのでしょうか。

    ただ肝心なのは、今を感じることだと思います。過去は過去。過去を「水」に流すといいますが、その作業も必要なのかも知れません。忘れないようにしたいのは、私の現在は「幸せ」であるということです。これをはっきり認識することが必要なのかもしれません。過去にとらわれた結果、幸せな今を台無しにしまう可能性だってあります。あるいは、今を土台にして幸せな未来へと繋いでいける可能性だってあります。私は、後者を選んでいきたいです。この今の状況は空気のように「あたりまえ」なことだけに、今に焦点を合わせていないと分からないことだとおもいます。私の今はあらゆる方向から「守られて」います。特に趣味は、本来の自分を取りもどす大切なことだと思います。何か夢中になれるもの。夢の中に入ることで、これからは自分らしさをとりもどしていきたいです。

  • #21

    yukiko (木曜日, 28 6月 2012 15:12)

    背の低さであれだけ周りからこそこそ言われて、劣等感を感じて、傷ついてきましたが、この問題は大学に入ってから急になくなっていきました。というのも、大学では身長のことで周りから毎日のようにこそこそ言われることがなかったからです。

    「ここでは何も言われないんだ、よかった・・」と安心した自分を記憶しています。その代わり、別の意味での「心のおさなさ」「自信のなさ」などの、すでにこのページに書かせてもらった問題が浮上してきましたけど。

    現在も、「背の低さ」はほぼクリアーしています。「背の低さを思い出させるような一言」に出くわすのは、年に1回あればいいほうです。

  • #22

    yukiko (木曜日, 28 6月 2012 16:26)

    ふと思い浮かんだことですが、小学校のときにピアノを習っていました。私は、今とは違って先生に自分の感情を素直に表現することが出来ずにいました。強弱をつけることすら恥ずかしくて、のっぺらぼうのような弾き方をしていました。そして、テンポについてですが、わざと「遅いスピード」で弾いていました。自分の好きなように表現することが全く出来ないこどもで、そのことでいつも先生から、笑うようにからかわれながら注意を受けていました・・・

    私の幼稚園のときの通知表をみたことがありますが、わたしのばあい「感情表現」が苦手だったみたいです・・
    音楽などそう書かれてあったような気がします・・
    (自分では記憶がないのですが)

  • #23

    yukiko (金曜日, 29 6月 2012 07:54)

    「こどもっぽく」見られることもあるし、「大人っぽく」見られる事もあります。日本でもそうだし、海外でもそうでした。
    「一見子供っぽいけど、話してみるとそうじゃないんだ」
    私から見て、大人っぽい雰囲気だな・・と思っている人から、

    「あなたは雰囲気的に落ち着いていていいよねーー」と言われたりすることがあります。海外でも、イギリス人の先生に、
    「落ち着いた雰囲気。大人の雰囲気(笑)」と言われてしまいました。スペイン人にも、「落ち着いている」と・・

    私は両極端なのでしょうか、と思います。確かに、心で考えていることは、いつだって「シリアス」なところがあります。高校時代からそういった一面を感じていて、
    「大人しくしていたら友達が離れていく」と思って、わざとにぎやかにしていたところもあります。大げさに騒いでいるところがありました。

    「こどっぽい部分」と「落ち着いた雰囲気(雰囲気的に大人っぽくみられる)」正反対な部分があるのかな?と感じています。
    悩みすぎてそうなった部分もあるのかもしれません。悩みから演じているうちに、抜け切れなくなった一面なのかもしれません。

    でも、大人っぽい、落ち着いているね、と言われて「嬉しい」とおもうことと、「嬉しくない」と思う両方の心も存在していました。
    「大人っぽい落ち着いた雰囲気」は、自分を守りたいからそうしたいの!と感じている部分もどこかにありました。自信がなくて大人しくしいたら、場合によっては「落ち着いている」と見られる事も(笑)

    心の全てがそうではないけれど、そういった面もありました。

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