Favorite SUN

Favarite SUN(ファイバリッド・サン)は、好きなものを周りに集めて自分を輝かせていくアイデンティティ系セッションです。

 

いつの頃からか忘れてします”好き”という感情。感覚を研ぎ澄まし、自らのアイデンティティに”ok”を出すためには自分の”好き”を積み重ね、”好き”だけで創り上げたピラミッドを築く必要があります。

 

自分に”ok”を出す機会に、ぜひ、ファイバリッド・サン

 

 

 

 

 

  

料金  ¥15,000-

 

 

期間  2週間のメール・掲示板スクランブルセッション

 

 

 

 

 

 ☆kohya_hibiki

コメント: 15
  • #15

    momo (金曜日, 07 3月 2014 07:54)

    家族についても1人で居るときよりは、自由と力を得ていると実感しています。つまり「与えられている立場」だと自覚をしていきたいです。つい私がやってあげている、という部分に焦点をあわせて自分の価値を見出していこうとしてしまう私がいます。専業主婦だから、にかなり劣等感があるのかもしれないです。というよりは働けないという思い込みが強くあって苦しいのもあります。根深い問題、駄目だけれど、社会的にみて落ち込んでしまっているけれど、それを埋め合わせるために自分自身を惨めだとか劣っているとか弱いとか情けないとか思いたく無いから(思われたく無いから)「してあげていること」を探してしまう部分があると思います。よく分かりませんが、夫に対しても両親に対してもその意識が強く働いてしまいます。姉に対しても・・・

    ただ、どんなじょうきょうであれ自分が自由を得ているな、力を得ているな、と感じるときは「与えられている」と感謝をしていく必要性があるなと思いました。そして「好き」という感情は、「してあげている」に焦点をあわせている限り遠のいてしまう感情だと思います。

    両親と一緒だと楽しい寂しくない、と感じることも多いので(その逆も同じぐらいあるけれど)、楽しい頑張れる喜び、強さみたいなものを自分自身に感じるときは、「与えられているんだ」と思って謙虚にいきたいです。
    とはいえ、感情は神様みたいなもので?ネガティブ感情も神様みたいなもので?(・・と習いました・・)否定はしてはいけないと思います。ここに書いていることは調子の良いことばかり書いているけれど、実際は自分のあらゆる感情を感じてしまいます。

  • #14

    momo (水曜日, 05 3月 2014 13:06)

    あれだけ苦しかった心が静かに落ち着いてきました。
    今日はぼんやりとしています。久しぶりに何も予定の入っていない1日という感じで完全にだらけているし何もやる気が起きないし、抜け殻な感じです・・

    大好きな自分。イメージとしては、地域の情報雑誌を読んで楽しいことを探していける自分になりたいです。色々なジャンルの情報がのっています。今の私は、話をするうえで話題がない(関心が持てない)ことにものすごく劣等意識があるなと感じます。自分には話せる話題が無いこと自体が、人とのコミュニケーションをとる上で恥ずかしい、恥ずかしい想いをしたくないと感じてしまいます。自然と避けてしまいます。大好きだと思える情報を見つけ出せる自分、他の人が好きだと思えることにもある程度ついていける自分自身、になっていけたらいいな。(私にとって応用編?)人とのコミュニケーションで、映画とか本とか音楽とか今旬ないろいろなことなど詳しくは無くても、ある程度は興味を持って知っておきたいです。うらしまたろう状態、世捨て人?みたいにならないようにしたいです。

  • #13

    momo (火曜日, 04 3月 2014 13:23)

    こうやって整理整頓していく心の作業が好きです。という気楽さも私にはあります。いまから、パンを買いにいって海へ行ってきます。店に入ったら、どんなパンと対面できるんだろう、と今から楽しみです。ありがとうございました。

    「感情論ぬきに才能を見極めて引き出していける人は数少ない」は自分自身のことでもあるなと思います。それが出来る事は自分を肯定して自信が合って、自信があるからこそ謙虚な人でないと?できない技だと思います。自分で自分のことを否定している限り、他人も否定し続けるだろうし、だから他人によって良く思われなくなるし、結果自分を花咲かせていけないと思います。花を咲かせることは、まわりの助けが必要だと思うからです。

    才能を開花していけるのは最終的には自分だけれど、周りの人はそのサポートをするだけで(ジャッジメントもそうだと思う)、そのためには周りの人を大切にしないといけないし、大切にされないといけない自分にもならないといけないと思います。愛し愛される自分(好きで好かれる自分)ということが必要になってくると??思います・・・
    このように考えると、自己否定のある私は他者否定もするし、言葉では出てこないけれど、過去のトラウマといいつつ態度で物語っているので、結果として謙虚に受け入れるしかないんだと思います。周りがこうだから、といっていては自分のためにはならないと思います・・・

    ただ、そんな自分を責めていては前にも進めないと思います。赦しとは何だろうと思います。自分が悪いんだと言って、自分のことを否定したり、責めるのは、自分と同じような人を見たときも同様に駄目だと思うことに繋がるのかなと思います。・・・色々自問自答していきたいです。

    (好きなことは、こうやって物事を考えていくことでもあるのかなと思います。以上でした)

  • #12

    momo (月曜日, 03 3月 2014 23:41)

    フェイバリットサンセッションで、沢山好きなものを書いてきたので
    よかったと思っています。焦らずにいきたいです。

  • #11

    momo (日曜日, 02 3月 2014 08:02)

    好きでやっていることだから、好きで始めたことだから,どんなことがあっても感謝していけたらいいなと思います。経験できることが好きです。すきなことで始めたことだから、どんな経験もありがたく受けとめられたらいいな。
    少し調子が良く無くて、人の中に居ること自体が感覚的におかしく?なりそうでした。そんな時に、ありがたくない自分が出てきてしまいます。楽しめない、人にも伝わって嫌な想いをさせてしまうなどあると思います。・・・と自分のことばかりになると「好き」エナジーから遠ざかってしまうのかなと思いました。

    そんなことを思いつつ、でも出来るだけ昨日のことは空っぽにして、、今日も頑張ろうと思います、ありがとうございました♪

  • #10

    kohya-hibiki (木曜日, 27 2月 2014 17:34)

    momoさん、いつもありがとうございます*^^*古代日本人の中に"割り切れない想い"に異様に執着する方たちがいて、彼らは非常に豊かな感性を持っていたグループではなかったかと思います。つまり、『なんでもかんでも武力や論理で解決できるほど人間は簡単ではないのだよ』というメッセージを多くの聖地で彼らから受け取りました。彼らは完璧さを嫌い、【3】の調和とバランスによってあらゆる事象が安定させられるべきだと考えていました。つまり、誰かが正しいのではなく、皆が主張しつつも譲り合った時に、真に正しいことが起きる、と。これはユズリハの項でも書いたと思います。羽生ユズルくんが金メダルを取ったことも何か大きな暗示が秘められているのでしょう^^

  • #9

    momo (水曜日, 26 2月 2014 21:35)

    ひびきさんのブログ、過去の別ブログも読ませていただいて、そのなかで、3人の女神の話が出てきて(噛み砕いたらそこから3人の女神が誕生した話)、10を3で割ると1あまるけれど、残りの1はどうなったのでしょう?1の存在する意味は?という問いかけが面白いなと思いました。

    1について書かれてあったと思いますが、もう記憶は薄れてはいますが、そこから受け取ったイメージはなんとなく、私はみたらし団子を思い出しました。勝手に済みません。みたらしについても、ブログに書いてあったような、、記憶がおぼろげですけれど、みたらしの3に棒が一本突き刺さっているので、のこりの1というのは3人の女神をまとめるための重要な何かなのかなと勝手ながら想いをめぐらしてみました。

    好き、とどういう関係がるのか分かりませんけれど、今はそういったことを思いました。3は、ピラミッドなのでしょうか?好きというピラミッドを築く必要があると書かれてもあるので、気になりました。

    フェイバリットサン、サンは3です・・
    太陽、3、

    ピラミッド・・

    私の中の3女神の存在は、、
    私を3で割ると残りの1は?

    そういったことをシンクロイメージしていくことも、
    大切なのでしょうか?
    ・・・・

    (今日はこのあたりでやめておきます、支離滅裂でした。ありがとうございました)

  • #8

    momo (水曜日, 26 2月 2014 19:14)

    知り合いと電車の中でおしゃべりをしていました。その人は本が好きで図書館に居ると落ち着くと話をしていました。

    「歌も好きだけれど、私本も結構読むのよ」「年間100冊近く読むよ」と。一瞬尊敬というか「そんな事いえる人ってかっこいい」と憧れ感が出てきました。

    どんな本が面白いとか話をしていました。色々なジャンルを読むと、最近読んだ本について感想を述べたりストーリーを面白おかしく話していました。そのような会話をする事が出来る人っていいなあと思いました。上手く言葉に出来ないけれど、私もそういったことが好きな人でありたいなと思ってしまいました。

    図書館に居るのが好き、落ち着くなど(ほんの匂いが好きとか)
    自分も真似してみたいなど思ってしまいます。
    そのような自分になれることが(近づける)のが理想かな?など思います。
    本はあまり読みません。嫌いじゃないけれど、本とは無関係かと言われると、そうでもなくて、スピリチュアルに出会う前は心の拠り所というか特定の作家に夢中になって本を買って集めたり、ホームページを覗いて色々なことを楽しんでいました。本は通勤など夢中になりすぎて降りないといけない駅を通過してしまったり、夜更かししすぎて寝不足な経験もありました・・・

    なんだろうな、、本をまた読みたいななど思ってしまいました。本が好きなんです、といえる自分に憧れます。図書館が好きといえる自分にも憧れます。

    図書館で思い出した事は、佐賀の武雄市にある図書館(武雄市立図書館?)が本屋とスターバックスが図書館と一体化した空間になっていることが有名だと夫が話していました。全国で初?の試みのようです。夫が武雄市に行ったときに図書館案内本をかってきてくれたのですが、とても落ち着く空間&おしゃれです・・・

    そういったところで、自分の好きな本を読んだりカフェやスイーツを楽しみながら時間を過ごしたりしてみたいです。1度は訪れてみたいなと思いました。
    (機会があったら、夫に連れて行ってもらいたいです)

  • #7

    momo (月曜日, 17 2月 2014 13:19)

    人間がまず最初に感じるのは「好き」OR「嫌い」だそうです。それは無意識の領域でとても原始的なんだそうです。無意識下でささっと分けていくんだそうです。脳のとても深い深い部分が反応?するそうです。奥深い脳の無意識で好きか嫌いかを原始的選別をした後、今度は現代風?思考処理作業が始まるそうです。「好き」だという感情がある、でもまてよ?・・・と考える事が始まるそうです。そして思考によって好きを制御したりセーブしたり、好きなのに嫌いだとか思ってみたり・・

    この作業はとても新しい脳の領域で、前頭葉?でなされるそうです。面白い番組をやってました。脳科学な番組でした♪

  • #6

    momo (日曜日, 16 2月 2014 15:23)

    とある先生からアドバイスされていいな、と思ったことは、

    初心者のうちに「好き」を育んでください。ようするにハネムーン期間中は思いっきり好きを育む時期だと。でも、中級、上級となると、つらい坂道、挫折、中断などやってくるから(それは当然の事)、・・・でも「自分が大好きなものが何か?」を分かっていたら、きっと乗り越えられると言います。

  • #5

    momo (土曜日, 15 2月 2014 23:13)

    スコーンが好き。心を込めてつくられたものが好き。嫌なことあって、やけ食い?しそうになった、けれど伝わって来るものがあった。瞬間笑顔で喜びいっぱいの職人さんの姿が重なってきました。これを食べる人が幸せな気持ちになれますようにって作業をしていた。袋詰めしていた。その想いを引き継いでいる作品であるスコーンが早く元気になってねといってくれているような気がした。

  • #4

    momo (土曜日, 15 2月 2014 23:12)

    好きなもの。水仙の花畑です。表と裏側からでは印象が違ってみえます。裏側から見る方が、愛らしくて好きです。表からははっきりくっきりした黄色がアクセントになったイメージ。それに対して後ろ姿はふんわりとしたカスタードクリームみたいになります。風が吹くと照れながら恥ずかしながら微笑みかけてくれるイメージです。

  • #3

    momo (金曜日, 07 2月 2014 08:21)

    なので苦しくてたまらない連続の日々です。特別な感情を形(言葉)にするという安心と安定を求めない限りは。でも、それでも苦しみをなんとか表現しようと形にならないように表現して開放していけたらいいなと思います。特別な感情を形にして安心することがゆるされないのだと思います。なぜなら、環境というものが「形」によってつくられているからです。安定固定化されたもの。形になってしまったものがハードルです。関係性もハードルです。形です。形にしてしまう、男、女は安心したくて「形」に入り、形によってがんじがらめになって自分を失うこともあると思う。

  • #2

    momo (金曜日, 07 2月 2014 08:04)

    特別な感情を抱いているんだと思う。その感情を言葉で括ることには無理があって、自分でも分かりません。言葉という「形」におさめると心が安定してほっとする感じになると思います。ただ安心できるんだろうけれど、大切な何かを失ってしまう気がします。安心とひきかえに「形」に入ってしまった結果、失う何かがあると思います。それは自分自身を失ってしまうことでもあり、魂の望んでいることではないと思う。

  • #1

    momo (木曜日, 06 2月 2014 16:24)

    好きなもの。とりとめもなく書いていきます。おしゃべりな感じですが、すみません。どうでもいい内容になってきそうで、でも書いてみます。新鮮な地元のお魚を、値段は良いけれど安くなったものを喜んで買う瞬間。それを自分でさばいて(下手だけどさばいた、という事実が嬉しい)料理して自己満足に陥ること。何度もユーチューブでさばきかたを見て、レシピもこれ作りたい!と思えるものに出会えること。出会いが嬉しい。イカも、さばけること。ほぼ半透明なイカを漁師さんに勧めてもらったとき、こういう瞬間が好きだと思った。ドキドキしながらも、アドバイスしてもらったり、私の目の前で値段を下げてもらう瞬間が好き。(そうすると買わないといけなくなるけれど)

    イカ、さばくとき、七色の光を怖がりながら楽しむこと。刺身にして食べたことが嬉しい。イカをさばけるなんて、と夫に褒めてもらうことが好き。げその部分が、手に絡まりませんようにと祈りながら恐る恐るさばくこと。全然うごかないものだったけれど、色はすごい変る。食べるときは、吸盤が舌に吸い付くのが絶対に嫌なので夫に食べてもらうこと。本当にその辺のスーパーで買うよりは、地元の玄海灘の荒波にもまれた魚達は身がひきしまっておいしい。いちど食べたら、他のものが食べられなくなった・・というくらいにびっくりしました。漁師さんに「みてくれはどうでもいいから、料理本みたいにちゃんとしようとか思わずに、とりあえずぐちゃぐちゃでも中身を(内臓を)とればいいんだよ~」とアドバイスしてもらったのがきっかけです。自分でさばいた魚を料理して食べる喜び。家族に食べてもらうとき、魚自体が美味しいよといってもらえるとものすごく嬉しいです。

    イカのてんぷらが好き。ふぐもてんぷらにすると美味しいくて大好き。ふぐはさばけないけれど、地元では有名なので買うこと自体がとても満足感。季節の魚を楽しむこと。このシーズンはこの魚が旬なのね、というのが分かってくること。今はひらめが大漁。新鮮でスーパーで買うのと全然違う。魚をさばいているうちに、さかなを釣りたいなと思うこともあります。地元の島に釣りを教えてくれるところがあっていつか参加したいなと思う。ただ、つりはえさがにょろにょろとしたものだったら嫌だな、とか思うのでそのあたりをおそれています、笑

    私にとってあたりまえじゃない経験をして出来たとき、そんな自分が誇らしげになり自慢したくなります、、魚さばけるとか、さばけないけれど、なんとかさばいたレベルで、、さばくときおおざっぱで魚の細胞が完全に崩れる感じになるけれど?でもこういう感じのことは大好きです。ひとことでいうと、手作り感です。こういったことを続けていきたいです。

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