element5

コメント: 10
  • #10

    たるとたたん (金曜日, 13 12月 2013 14:41)

    体はエレメントで言うと、皿みたいなもので「空」として捉えることができるとテキストには書かれてありました。自分の体に意識を向けることは、いいかえると自然の摂理を内側に感じることであって、宇宙に意識をあわせることに繋がると思いました。月と体。体には沢山の月があります・・・

    体は大人で、心はこどもだ、と聞いたことがあります。体は宇宙そのもので、自然の摂理を生きていて、うまれてはきえていく。月の引力に左右されている。生と死のサイクルに忠実。でも、こころはそれに逆らう。こころは、宇宙の流れに忠実なからだを支配しようとするし、言うこときかないとからだに文句を言ったりする。からだは文句を言わないけれど、外側にある自然と一緒で、何とかバランスをとりながら、生と死を繰り返して、次なるサイクルへと循環させていく。調和。

    「何も準備しなくてもいい」は「自分自身を準備する」という意味でもあるのかな、と改めてイメージしています。空、月、肉、体・・

  • #9

    たるとたたん (金曜日, 13 12月 2013 08:53)

    空について思うこと。

    月弓ブレスを購入しました。空エレメントの時期、気になっていたブレス。「わたしを探して」という心の声がした。思い出した事。それ以前、その地元神社の高台に上がったときに「わたしは誰?」と自分自身に問いかけたのを思い出しました。そういったことから、私の内面のある部分の点と点が繋がったような気がしました。

    「わたし」は2つのものを(分離したもの)繋げる橋渡し的役割だとも感じました。ひびきさんのブログを読んで受け取った情報?だと思います・・・
    あるカードに「精神分裂」というちょっとリアルすぎるメッセージがあって、朝は笑顔なのに、夜になると怒って怖い顔になる。その人物はそうやって二つに分裂する。別人格になっているのだ。その2つの人格を繋げるはずの「橋」が壊れているからだ。朝と夜を繋げる橋を修復しないといけない、というようなメッセージを同時に思い出しました。

    2つの思いに引き裂かれそうになる。2つの両極端な感情。これらを「わたし」でつないでいけたらいいな、などイメージするものがありました。

    絶望と希望・・・
    生きること死ぬこと・・

    あの時すごい希望を感じたのに、次の瞬間絶望に陥っていた。
    なんでそんなに両極端?お菓子(おかしい)です・・あ、たるとたたん・・
    呼吸をして深呼吸をして、落ち着いていきたい・・
    しんこくう、虚空(こくう)、虚空な気持ちをしんにこきゅうすることで、「空(くう)」の感覚と共鳴したい。少しでも・・
    (はしわたるかな、わたしはだれかわかるかな、くうのなかにあるのかな・・・)

    わたしは誰?。嵐山ぐらいから「渡月橋」にまつわるイメージに触れて、洪水にすら耐え抜いた渡月橋など思っています・・・

    (月弓を身につけることで、生と死、これもふたつに分離されたもの。空はこのふたつを統合していくエレメントだと書かれてありました。石に教えてもらいたいなと思っています。)

  • #8

    たるとたたん (木曜日, 12 12月 2013 23:41)

    空、集合生命体。・・・は、自身が何かを分かりたくて、分身を外側にどんどんつくっていった。細胞分裂していった。分離、分離の連続。集合生命体だったけれど、自分の姿を見たくて知りたくて、離れていって離れたところで自らを見るために鏡をつくった。目をつくった。レンズ。逆さまに映るかもしれないけれど。逆さ富士。逆さ・・まなものは沢山ある。天と地に別れた。白い空間に居ると気が狂いそう。なにものか、私は誰?私を探して・・なので目を閉じた。白ではなくてそこは暗かった。黒。白と黒に分かれた。天と地。
    (妄想でした)

  • #7

    たるとたたん (木曜日, 12 12月 2013 18:01)

    舞台、ステージなどは「空」エレメントなのかなと感じるときがあります。
    私はどの舞台にいて、その舞台ではどんな役割を求められているのかをまず知ることが大切なのかなと思います。舞台なんだと思ってみつめていくと、感情に支配されることなく、冷静に自分はどうすべきなのかを理解していくことが出来るのかなと思いました。とはいえ、難しいです・・・

    そして、人それぞれの舞台があり、全ての人が自分独自の舞台を持っていて、脚本もその人の自由だし、登場人物、演出も自由に創っていってもいいことになっています。生きている人の特権です・・と感じました。

    憧れの人が居るとして、でもその憧れの人はどういった舞台を今作っていて、どんな人を配置していきたいか。憧れるあまり感情に支配されそうになったときは、そのようにして自分を見つめなおします。あ、舞台おりなきゃ。今は独り舞台だ。私の出番じゃない。ツインテット?駄目だわー控え室にいなきゃとか。カルテット?やってる、とかイメージしています。

    自分のあがってみたい舞台でやってみたい役柄が巡ってこないとき、かなりへこみますが、でもこれも学びだと思います。色々な憧れがありますが、今日がまさにそんな日でした。そんな時は、おそらくもっと空(くう)な意識で物事を全体的にみつめてみましょう、と言われているんだと思います。そもそも選ばれる選ばれない以前に、「生きている」ということが貴重なんだと思います。誰かに受けいられない、選ばれない、認められない、・・
    ・・でも、それ以前に生きている限りは、命として選ばれているんだと思います。選ばれないから消えていることではなくて、ちゃんと存在していることには変りはなくて、選ばれている人と一緒です。(つまり上弦の月みたいな感じで、半分太陽光線が当たらなくて、見えないだけで、全体としてはまんまるお月さまです)

    でも、まずは自分の舞台をほったらかしたらばちがあたると思います。「空(から)」にならないようにしないと、と思います。

    (以上でした。読んでいただきありがとうございました。少し感情が高ぶってしまいました)

  • #6

    たるとたたん (木曜日, 12 12月 2013 17:19)

    妄想を思い切ってやってみます。ちょっとした体験学習です。

    最近の話ではないのですが、空を見つめていると、空だけでは人間は気が狂う(!!)と発見しました。よく海を見に行くのですが、青い海と青い空。素敵だなあと思います。海を見て波の音を聴いてうっとりです。そして空を見ます。空も素敵・・

    空を見つめ続けたくなりました。けれど、見つめ続けるのは不可能だと気がつきました。太陽が眩しいとか、首が痛くなるとかじゃありません。自分の精神が「静」の状態に耐えられなくなると分かりました。どうしても視線を少しずらしたりしないと(無意識にそれをやっていることも発見)、空を見続けることはできないし、空は癒されるな綺麗だなとおもい続けることもできないと分かりました。何をやったら空をじっとみつめていれるか、例えば雲に視線をそらしたり、鳥を目でおいかけてみたり、空の色々なグラデーション色を追いかけてみたり、なにかしら時々動き変化するものをみないと心がそわそわしてきます。というよりは、不可能です。そしてさらに何故だろうかと、これはたとえば、真白な空間に自分が放り込まれたとします。白以外なにもありません。その空間でじっとしておかないといけないとしたら、私は自分をまもるために目を閉じると思います。

    空だけでは気が狂う。海は大丈夫でした。波があって常に揺らいでいるので動きがあります。なので安心して見つめていられます。「変化するもの、動くもの」が大切だなと。空を癒しとして受け取るには必要な要素だと感じました。それらが空以外のエレメントの役割でしょうか?
    静と動。静は動によって生かせれて、動も静によって生かされるお互い様精神とイメージ。テキストには、空があってその中で、他のエレメントが優劣とは違う領域でお互いに影響しあっている(消えたり現れたり?)と書かれてあったのを記憶しています。

  • #5

    たるとたたん (木曜日, 12 12月 2013 16:34)

    屋乃波比伎神(やのはひきのかみ)のブレスレットがワーク中のイメージとして出てきました。そのまえに十字が出てきていました。その時は何故このブレスレットが出てくるんだろう、と思っていました。今みていると他のブレスよりも精神状態にしっくりくる感じです。深い闇を感じたとき、レイクエムを聴くと心が癒えるような感じです。鎮魂歌なイメージを抱きたくなります。「空(くう)」なイメージもしています。色々あるけれど、嬉しいも苦しいも、自分に与えられている運命を受け容れるイメージです。勝手に書いてしまい申し訳ありません。

    ブレスについては、気分よって「ピン」とくるものが変るので楽しいです(笑)エレメント前は「月弓ブレス」が気になっていました。生と死のサイクルとして。上弦の月がらみでも気になっていました。「月弓ブレス」のことを考えながら、地元の神社の近くをウォーキングしていたら、「わたしを探して」と心の声がしたような気がしました。別の時だったかもしれませんが。記憶には自信がありませんが・・「わたし?」と思いました。瞬間、左手首がビリビリっと電気が走ったようになって、なにか繋がった?気がしました。妄想かもしれませんが・・・「わたし?」について、その後・・あるイベントコンサートで「はい、わたしです」と誰かが答える瞬間があってシンクロすぎてびっくりしました。

    (エレメント前後のことも含めて書かせてもらっています)

  • #4

    たるとたたん (木曜日, 12 12月 2013 15:44)

    エレメント受講前、「おそれ」の気持ちでいっぱいでした。心を空っぽにして遠隔でエネルギーを感じることに自信がありませんでした。変な妄想や雑念がうかんできたらどうしよう、など考えました。(なので、今まではイメージを繰り広げることに集中していたんだと思います)

    けれども、ワーク数日前から目を閉じて心を空っぽにする練習をしていくと、最初は落ちつかなくても、次第に体が暖かくなってきて気持ちよくなってくるエネルギーを感じることが出来ました。そして、この心地よさに意識をあわせたらいいんだ、雑念よりは「ここちよさ」「あたたかみ」「ひかり」などに焦点をあわせていったらいいんだと少しだけ気づきのようなものがありました。そうすると、怖くないと。考えてみると、ワーク中のエネルギーは愛の波動そのものだろうし、怖くなんか無いし、安心して愛の波動に委ねたらいいんだと自分に言い聞かせてだんだん落ち着いてきました。練習中にもうひとつ気がついた事は、テキストに「何も用意しなくてもいい」と書かれているので心を空っぽに、と思っていました。(最初は何も用意しなくてよい、に恐怖心を感じてしまいました)心を空っぽにして意識を集中していくと、自分自身に意識が集中していくのに気がつきました。その時「用意するものは自分かもしれない」と思いました。自分をしっかり静かにみつめることが怖かったのでしょうか。それを自分以外の人に悟られるのも怖くて。練習中は、自分が花開いていくイメージが浮かんできました。自分が花びらのように一枚一枚開いていくイメージです。

    練習によって、心が落ち着いてくるのが分かってきました。心を空っぽに、目を閉じて自分自身に意識を集中すると、心身も楽になっていくのを感じたりしました。とはいえ、ワーク本番に向けての恐怖心がありました。それは何とか練習で落ち着かせようとしたり、何度かひびきさんにメールをさせていただいたりしてバランスをとっていました・・・

    恐怖は「虚空」をイメージしてしまったのもあると思います。宇宙のような果てしない感じに心がどうかなりそうだ、と一瞬感じたような気がしました。尋常じゃない感じでもありました。「空しさ」?ワーク中も、エネルギーに焦点をあわせると涙があふれてとまらなくなりました。たぶん、一緒の涙だと思います。

    何故泣いているのかわからない。この部分は私にとっては気になっています。
    分からない感情が奥からこみ上げてきました。その感情については、つかみどこりがありません。

  • #3

    たるとたたん (木曜日, 12 12月 2013 15:12)

    空は一番悟りに近いエレメントだと書かれていた。「虚空蔵菩薩」などの存在を教えていただきました。けれど、「虚空」といえば一般的にネガティブなイメージです。もっとも崇高なエレメント?だけれど、もっとも闇深いネガティブと隣り合わせなエレメントでもあるのでしょうか?いいかえると、深い闇を乗り越える時、「空エレメント」が働いているのでしょうか。闇を感じるとき、反対側にある光はなんだろう?と常に考えるようにすることが重要だなとは思います。

    虚空蔵菩薩とは違う意味合いの、ネガティブとしての虚空(心が空っぽな状態、絶望感)を感じると、絶望感などとも繋がってくると思うし、生きるか死ぬかを考える状態だってあると思います。けれども、そこから学べることは最高の「空(くう)」なのだとイメージしてみました。

  • #2

    たるとたたん (木曜日, 12 12月 2013 07:36)

    空エレメントから何を学べるでしょうか。空の癒しとは何だろうと思います。
    ずっと考えていました。受講前に考えていた想い。「次のエレメントは「空」なんだろうな~」と思っていて、様々な想いを巡らしていた。受講するタイミングも、心の中を観察しながら「いまが受け時かもしれない」と思いました。

    まず、最初に伏線イメージは、「靴」の話しでした。靴がないという話でした。ひびきさんに話をして頂いたアドバイスより、私に合うサイズの靴がなくて、それは靴が沢山集う場所、場所の出入り口、人が沢山居る地にしっかりついている場所。私にとって靴は「居場所」なんだとと考えました。

    「靴」といえば、賛美歌で神の国へ旅立つために靴を履こうというイメージが良く出てくるなとも思いました。靴は「空を飛ぶことの出来る靴」とイメージが膨らんでいきました。それは足元に履く靴かもしれないし(地をあるくため)、空(天)を飛べる翼かもしれません。

    ちょうどその時、あなたの背後、背中に意識を向けてみて、とシンクロメッセージがありました。背中には翼がある。あなたの翼に気がつくと、空を飛ぶことが出来る。天へ昇るために。

    ひらはらあやかさんの歌を野外で聞いたことがあって、「あなただけの空をみつけて」と胸に手をあててお客さんに語りかけたことも同時に思い出しました。空はあなたのハートにあるよ、と。空、ハート。

    ハートは全てのものと繋がっている大切な空間だと感じています。きっと目を閉じてハートのへ意識を落ち着けていくと、心を空っぽにしていくと、全体と繋がるゲートへ向かうんだなと感じました。ハイヤーセルフ・・・宇宙・・・
    霊的なこと・・・霊と空は漢字が似ているなと思いました。

    「誰かがいなくて寂しい」と思ったとき、その人を外側へ求めるのではなくて、例えば言葉がほしい、会いたい、コミュニケーションがとりたい、・・
    でも、それが物理的に叶わないときは、「ハートには何がありますか?」と自身に問いかけるレッスンなんだと思いました。ハートに意識をむけて、本当の意味で大切な何かとつながりたかったら、そのゲート(玄関)は心の中、そこからノックしないと入っていけないと感じました。胸に手をあてて、心静かに、心の空に通じて全体とひとつになる瞬間。全てはひとつ空の下精神だと感じていました。その気持ちに委ねると「誰かがいなくて寂しい」「心通じ合えなくて苦しい」などの想いは少しずつ解消していくのかなと思いました。誰かを追い求めるのは、分離状態であってそれを統合に向かわせるのは、そういった精神にあるのかなと思いました。

    (勝手な解釈でした)

  • #1

    たるとたたん (水曜日, 11 12月 2013 23:32)

    ワーク中は、エネルギーがやってくる感覚を観察していました。イメージというよりは、光や暖かみを感じていました。(イメージを繰り広げたくないと思った。空、空っぽな感覚を感じたいと思いました)やってくるエネルギーと波長をあわせようとすると、わからない涙があふれそうになりました。